「子どもにとってふさわしい教員になって戻ってきてほしいという一念を支えに、心を鬼にして(教委に)上げました」。校長は当時の胸の内を明かす。「指導力不足教員」の認定は、校長の事実確認と教委への申請で動き出す。認定直後に依願退職した教員もいた。校長にとってはこの上なく“重たい”作業だ。
校長は「その教員」の授業を機会を見つけては観察した。ほかの教員から「無計画で一方的」という評価を聞いていた。子どもから、とまどいの声が寄せられているのも知っていた。しかし、先入観抜きに、自分の目で確かめることが何よりも大切と考えた。「これでいいのか」。校長の視線の先の教員の振る舞いは、子どもの気持ちをくみとった上で学力の向上につなげるものとは言い難かった。
「所属校の校長が言わなくて誰が言う。いくら恨まれても客観的状況を伝え、改善につなげよう」。その教員と会って話すと、本人は教員としての自分を高く評価していた。子どもとのコミュニケーションも良好と認識していた。
校長が常に意識したのは「どうしたらこの人が自分を振り返れるようになるか」ということ。教員はアドバイスに耳は傾けるが、状況は改善しなかった。「校内では無理かもしれない」。校長は「指導力不足教員」の認定を具体的に意識し始めた。当然、制度は知っていたが、よもや、自分が申請する立場になるとは思わなかった。
認定に向けた「実態把握記録簿」の作成を終えた段階でも、校長の心は揺れていた。その時、脳裏に浮かんだのは「子どもの目の輝き」。新米教員時代、それを授業で引き出せた時の喜びがよみがえってきた。「この喜びを知ってもらいたい」。迷いは消えた。
校長は教員に、本人の弁明機会もある審査委員会の日程を告げた。落ち着きを失っているように見えた。約1カ月後、校長から認定を聞いた途端、教員は席を立った。家族から説明を求める電話もあった。
それから4カ月。教員は研修の仕上げとして勤務校で再び教壇に立った。授業の指導案は以前に比べて「雲泥の差」。授業は丁寧になった。「ありがとうございました」。職場復帰の決定を校長から聞いた教員は頭を下げた。
「いろんな人にかかわり、人間的にフォローしてもらい、人間の良さに触れたのでしょう。『これではいけない』という振り返りの入り口に立てたのだと思います」。校長には、教員の現在の勤務校の校長から「しっかりやっているよ」との声が届いている。(教育取材班)