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やっぱり先生

【教育のひろば】情熱注ぐ喜び体現 五輪代表水鳥寿選手の父一夫さん

2005/06/06

開館以来、変わらず指導を続ける水鳥さん夫婦。体操館

には今も、五輪を夢見る子供たちが集まる。現在は、

長男の静馬さん(中央)も指導の中核を担う

=静岡市葵区西千代田町

 「先生」と呼ばれるのは学校の教師だけではない。学校教育とは違うアプローチや視点で「子ども」「生徒」を指導し、育てている情熱にあふれた人たちも、やっぱり先生だ。今回から4回にわたり“校外の教師たち”にスポットを当てる。さらに全国の教育特区の取り組みも紹介する。(教育取材班)

 

手づくり体操館の大きな夢かなう

 「よくここまでやった」。2004年5月3日、東京・代々木第一体育館。水鳥体操館館長、水鳥一夫さん(56)=静岡市=は長年見続けた夢がかなった瞬間、数千人の大歓声を聞きながら、こらえきれず泣いた。アテネ五輪の日本代表選考を兼ねたNHK杯。夢だったオリンピック出場を実現したのは、一夫さん自身「ほとんど期待してこなかった」と認める二男寿思さん(24)=徳洲会=だった。一夫さんの脳裏には、息子の幼いころのぎこちない競技姿が浮かんでいた。

 

 “さまにならない”選手
 体操館を開いたのは、一夫さんが33歳の時。本業の大工仕事の傍ら、中学の体操部などで教えるうち、けがで断念したオリンピックへの夢が再燃した。子供のころテレビで見たメキシコ五輪。塚原光男ら日本選手の活躍に心を躍らせた。「オリンピック選手を育てたい。継続的に教えられる場所がほしい」。私財を投じ、建物も器具も手づくりした。
 寿思さんはすぐ上の兄、静馬さん(27)の後を追い、小学校入学前から毎日体操館に通った。一夫さんは兄弟を特別扱いしなかった。それどころか生徒の誰かがミスをすれば、兄弟を怒った。あいさつや返事まで、指示をたがえば間髪入れず、スリッパや拳が飛んだ。
 「怒鳴られていた記憶しかない」と寿思さん。静馬さんも「父とは家でも敬語で話し、怖くて自分から話し掛けることもできなかった」。祖母に「お父さんと呼んであげなさい」とたしなめられた記憶もある。
 「お前はもうやらなくていい。やめろ」。体が硬く、上達しない寿思さんを一夫さんは突き放した。「つま先はまっすぐ伸びず、前屈もできない。とにかく体操がさまにならない。とても選手としてやっていけるとは思えなかった」。その分、早くから才能を見せた弟の一輝さん(21)、豪敏さん(19)=ともに日体大=に目をかけた。

 

 「父さんを見返してやる」
 「父さんを見返してやる。すごいといわれる選手になってやる」。中学卒業が迫った寿思さんは、体操の名門・岡山関西高への進学を決意する。当時、県内のジュニア選手強化を担当していた一夫さんは猛反対したが、寿思さんの意志は固かった。父のそばを離れたことは、結果的に大きな転機になった。
 「寿思はおとなしく見えて、ものすごい負けず嫌い。どんなに駄目だと言われても、体操をやめなかったのはそのせい」と静馬さん。寿思さんは「ほかにできることがなかったから」と語るが、父に認められない悔しさは、体操への執着につながった。
 寿思さんが父の下で学んだのは、自分の欠点を直視すること。「自分の弱点を冷静に判断し、どうすれば有利になるかを見極める力は誰にも負けない」。寿思さんを近くで見続けた静馬さんは、弟の強さをこう評価する。「五輪代表の6人のうち、5人は誰もが認める天才。寿思は違う。でも、自分が弱いと知っていたからこそ強くなった」
 寿思さんは日体大時代、大腿(だいたい)骨骨折、十字靱帯(じんたい)断絶と度重なる大けがを経験。選手生命も危ぶまれた。「練習できない長い時間、何をすべきか考え抜いて、いざ練習となれば人の何倍もの集中力を発揮してきた」。一夫さんは今、心から息子の力を認める。「誰にも可能性があることを見せてくれた。あいつはすごい」

 

 「何かやらなくちゃ駄目だ」
 6人の水鳥兄弟でたった1人、幼いうちに体操をやめた三男の繭見さん(22)は、父親にほとんど怒られた記憶がない。唯一の例外は、中学時代から続けたトランペットで受験した芸大に落ち、何も手につかなかったころ。
 「練習もしないで、お前は何をしている。何かやらなくちゃ駄目だ」「何がしたいんだ。音楽じゃなかったのか」。中学、高校時代にはほとんど口も利かなかった父が、顔を合わせるたびに声を荒らげた。
 静岡市出身のオペラ歌手大島幾雄氏との出会いから声楽に転向し、現在は、桐朋音大で声楽を学ぶ。「やっと自分がやりたいことに巡り合えた。オペラもミュージカルも、何でも挑戦していきたい」。歌への情熱は揺るぎない。
 「怒られたのはあれっきり。トランペットをやっていたころは何も言われなかったし、声楽に転向してからもひと言もない。目標を持ってやっている限りは認める、ということなのかも」
 体操館を「ふまじめで首にされ」、小学校からギターを習った。中学はトランペットを吹くためだけに通い、3年間一冊のノートも取らなかった。兄弟が体操をしている夜はテレビゲームに熱中し、始終ごろごろしていたが、父は何も言わなかった。
 母親の見香さん(58)は「寿思や繭見は体操が駄目で見捨てられたと思っているかもしれないが、(一夫さんは)決してそんなつもりではなかった」と語る。「自分が1番夢中になれたのものの面白さを分かってほしかっただけ」。父親は自らが体操に没頭することで、子供たちに何かに打ち込むことの大切さを伝えてきた。

 

水鳥体操館 静岡市葵区西千代田町に昭和58年、開館した。選手育成とともに、体育の苦手な子供の苦手意識の克服、大人の健康づくりを目的に体操を指導する。現在、小中学生を中心に約280人が通う。


寿思さんに聞く 兄弟への競争心から自分との闘いへ

 ―体操は子供のころから好きでしたか。
 「体操館に通うのは当然のことだと思っていて、毎日練習したけれど、体操は好きではなかった。ただ、子供のころから強くて、父に目をかけられている兄や弟たちをうらやましいと思っていた。身体的には不利だと分かっていても、自分だけ兄弟に負けているのは悔しかった」
 ―自分からやめることを考えたことはありますか。
 「唯一考えたのは、日体大に進んで、1年の秋に大腿(だいたい)骨を骨折した時。もう駄目だと思った。けがだけでなく、日体大にいた兄が卒業と当時に体操をやめると決めたことも重なって、それまでずっと目標にしてきたものが突然なくなってしまったような気持ちもあった」
 ―なぜやめなかったのでしょうか。
 「兄に毎晩話を聞いてもらって、気持ちをはき出すうちに、あきらめたらここで終わりだと思い直した。体操を捨ててもほかに自分には何もないし、体操を捨てる勇気もない。オリンピックに出るまでやるしかないと決心した。何でも続けているうちに、自分のものの見方は変わる。やってみなければ分からないことはたくさんある」
 ―オリンピックへの道のりはどうでしたか。
 「大学3年でユニバーシアード代表に選ばれたのが大きな自信になった。全日本の強化選手にもなり、自分にプライドが出た。オリンピックに行きたいという夢と、現実がつながった感じだった。オリンピックに出るために自分が何をすべきか、練習の組み立ても具体的に考えられるようになった」
 ―勝つためにどんなことを意識しましたか。
 「自分と人を比べず、自分に徹すること。比べると、余計な力が入って失敗したり、気が抜けたりして、自分に徹することができない。ここまでいけば勝てるという目標点を定めて、ひたすらそこに向かって自分の欠点を埋める作業をした」
 ―体操をする上で家族はどんな存在ですか。
 「今は本当に体操を好きでやっていると言えるけれど、途中までは確かに父に認められたいという気持ちはあった。兄弟は今でもライバルだし、母の存在も大きい。母は本当に助けてほしい時に、手を差し伸べてくれる。いつでも味方になってくれる安心感がある」

 

授業の約7割が英語で行われる=群馬県太田市のぐんま国際アカデミー


全国の特区 群馬県太田市
小中高通し英語で授業 「ぐんま国際アカデミー」
 国語と社会科の一部を除く授業を英語で行う小中高一貫校「ぐんま国際アカデミー(GKA)」が4月、群馬県太田市に開校した。構造改革で特例が認められ実現した“英語漬け”の学校を4月下旬、訪ねた。
 JR熊谷駅(埼玉県熊谷市)から国道407号を車で40分ほど北進し、県境の利根川を渡ると太田市だ。自動車関連など、世界規模で事業展開する製造業が多く立地し、本県西部と似た土地柄といえる。3月に周辺3町と合併し、人口は15万人から21万人になった。
 同市は構造改革特区に、英語教育分野でいち早く名乗りを上げた。特区提案から3年もかけず、全く新しいタイプの学校が登場した。GKAは制度上は私立校だが、「公設民営の一貫校」と表現した方が実像に近いといえる。
 開校初年度は初等部の1年生106人、4年生59人が学ぶ。児童らは昨年度、週3時間のプレスクールで英語の基礎を習得した。
 玄関を入って右側が4―6年生、左側が1―3年生の「ハウス」。木造平屋の校舎、オープンスペースに“教室コーナー”を配置した間取りなど、校舎の造りからも、学校や教育の新しいかたちに挑もうという意気込みが伝わってくる。
 4年生の算数の授業。ネイティブの男性教師が絵本を使って、百万、億と、大きな位の数を説明していた。児童らは身を乗り出して絵本をのぞき込んでいた。
 「子供たちは今、授業の内容に興味を持ち、数の概念がストレートに頭に入っているんです。教師の言葉が英語か日本語かは二の次なんです」と井上春樹副校長。そう説明されて、教師の英語を聞き取ることに傾注していた自分と、目の前で目を輝かせている子供たちとでは、英語に対する距離感が全く違うことが理解できた。英語漬けの教育は、加藤学園(沼津市)の実践が知られる。井上副校長は加藤学園の元教師だ。
 太田市の清水聖義市長は、次代を担う子供たちに必要なのは「コミュニケーションの力と教養」と力説した。「数学を英語で教えると数学ができなくなるわけではない」と言い切る。そして「GKAでは国語の授業もよく見てほしい」と話した。

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