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<掲載内容>   

東海地震説25年の歩み

県内を襲った主な地震

国内を襲った主な地震

 

   ● 東海地震説25年の歩み
        

69年11月28日
茂木清夫氏(当時東大地震研、現東大名誉教授)が地震予知連絡会で「駿河湾・遠州灘」で大地震が起こる可能性を指摘。波紋を広げた。

76年8月23日 
石橋克彦東大理学部助手(当時)が地震予知連絡会で東海地震説を発表。M8クラスと予測し「極端に言えばあす起きてもおかしくない」と話した。

10月1日
県消防防災課に「地震対策班」発足。

11月25日
県庁内に「地震対策ワーキンググループ(6部会)」を設置。物資確保や避難路、県職員の動員、職務分担策など検討へ。

77年4月18日 
地震予知連絡会に「東海地域判定会」を設置、初会合を開催。判定基準の目安、発表の形式など大まかな方向が決められた。

5月15日
地震対策班を18人に増員強化。

7月22日
全国知事会に地震対策特別委員会設置(委員長・山本敬三郎静岡県知事)。観測、予知、警報体制の整備、警報に基づく直前措置、危険と思われる地域を中心とする震災予防の措置などを内容とする「地震特別立法」制定働きかけへ。

8月1日
県に「地震対策課」発足。気象庁の「海底地震計」本体が完成。

78年1月18日
県が全国初の「余震情報」を発表。14日起きた伊豆大島近海地震(M7・0)の余震が続くとして、行政無線を通して伊豆南部と伊豆中部の市町村に注意を呼び掛けた。一部の県民は“地震警報”のような意味で受け取ってしまい、地元で避難騒ぎなども起こった。「M6」を“午後6時”と受け取り、今にも地震が起こるものと勘違いした人もいて、情報伝達で大きな問題を残した。

6月7日
「大規模地震対策特別措置法」(大震法)」成立(6月15日公布)。指定地域で集中観測し、前兆があれば首相が「警戒宣言」を発表し、関係機関、企業が震災の予防態勢を固めることになった。山本敬三郎県知事(当時)は「県民の安全に大きな支え」とコメント。

11月30日
「東海地震の危険度試算(第一次被害想定)」発表。6万9千戸全壊、12万1千戸半壊、津波で2千600世帯流失、死者1万900人、重傷者1万6千700人、県内世帯の約半数の41万8千世帯、150万2千人が何らかの被災をすると予測した。しかし、予知された場合は被害は大幅に減少し、被災世帯は予知できなかった時に比べ約半分の22万1千世帯とした。

12月14日
大規模地震対策特別措置法(大震法)施行

79年3月15日 
2月県議会で法人事業税の超過課税を議決、対策事業の財源確保を狙う(9月施行)

4月1日
御前崎沖の海底地震計観測開始

8月7日
本県全域など6県170市町村が、大震法に基づく「地震防災対策強化地域」に指定された。わが国人口の5%に当たる567万人に防災の網がかぶせられ、東海地震の防災対策が本格的に始動した。地震観測網が異常をキャッチすると、気象庁長官が「地震防災対策強化地域判定会」を招集し、この判定会の結果を地震予知情報として首相に報告。地震発生の恐れがあれば、首相が閣議に諮って警戒宣言を出すことになった

9月7日
中央防災会議(会長・内閣総理大臣)が「地震防災基本計画」発表

11月16日
本県中心に神奈川、山梨、長野、愛知、岐阜の6県170市町村で、東海地震を想定した初の防災総合訓練を実施した。外務、法務を除く全省庁と国鉄(JR)、電電公社(NTT)など7指定公共機関が参加した。県民の3人に1人が参加した大規模訓練で、自主防災の組織化を促進することになった

11月24日
自民党(地震対策特別委員会)が「地震対策事業財政特別措置法(地震財特法)」制定決議

12月27日
国土庁長官、大蔵大臣が財政特別措置の検討で合意

80年1月22日 
県、市町村代表、国の出先機関、電気・ガス・運輸業など約50機関で構成する、県の防災対策を決める最高機関、県防災会議(会長・山本敬三郎知事)が「県地域防災計画・東海地震対策編」を発表。中部電力浜岡原子力発電所の警戒宣言時の対応については「電力の需給動向を勘案しながら運転を停止する」とした。停止時間について、県では「遅くとも警戒宣言から2―3時間以内であることを中部電力との間で確認している」と話した。地震対策への取り組みについて、会長の山本知事は「本年度(54年度)は”助走”だったが、55年度は国の財政措置も拡充されるものとして、本格的にスタートしたい」と述べた

4月1日
県が市町村地震対策事業交付金制度を創設

5月28日
「地震財特法」公布。同日施行

6月24日
「県地域防災計画・東海地震対策編」を総理大臣が承認

12月11日 
県はイタリア南部で11月24日起きた大地震を対象に、「イタリア・アルジェリア地震被災者救援募金運動」を開始した(翌1月14日まで)。海外の災害に対し都道府県単位で県民ぐるみによる救援活動が行われるのは初めてとなった

12月23日
県が向こう5年間に実施する「地震対策緊急整備事業計画」の一次計画分1千900億円を総理大臣が承認

81年4月24日
早朝、県が県職員を対象にした初の”抜き打ち”動員訓練を行った

82年3月29日
県の「地震対策緊急整備事業計画」の二次計画分526億円を総理大臣が承認

83年10月18日
9月県議会で法人事業税の超過課税5カ年延長を決議

85年3月30日
「地震財特法」を5カ年延長

86年12月7日
「地域防災の日」を制定(12月の第一日曜)

88年12月13日
11月県議会で法人事業税の超過課税5カ年延長を議決

89年3月24日
県の防災ヘリコプターが納入され初飛行。災害救助や救援物資の搬送を主な業務として志太郡大井川町の県警航空隊基地に常駐することになった

4月20日
地震のメカニズムや地震災害、地震対策を映像やモデル展示で学習できる施設を備えた県地震防災センターが静岡市に完成

90年3月31日
「地震財特法」の5カ年再延長

8月21日
国は本県など東海地震防災対策強化地域6県の市町村から提出されていた「地震対策緊急整備事業変更計画」を承認した。財特法の再延長に伴う措置

91年6月11日
県と県建築士会は被災した建物が使えるかどうかを判定する「応急危険度判定士資格制度」を創設

11月1日
防災意識高揚のため、県防災会議で「地震防災強化月間(11月)」を制定。倒壊防止のための家具の固定や非常食の備えを呼び掛けるなど、家庭内対策を進めるのが目的

92年8月21日
中央防災会議が「南関東地域直下の地震対策に関する大綱」を決定(対象1都6県、本県5市7町)

93年6月21日
県が東海地震の「第二次被害想定」発表。15年ぶりの全面改定で、予知されなかった場合、死者2千574人、重傷者9千3百人、家屋全壊約15万5千棟、半壊約29万8千棟。予知があった場合は死者376人、重傷者2千540人、家屋全壊約9万4千棟、半壊約29万2千棟などとした

94年7月1日
県が「津波対策推進旬間(7月1―10日)を制定

95年3月23日
「地震財特法」を5カ年再々延長

5月17日
1月17日に起きた阪神大震災(兵庫県南部地震)を教訓に、地震対策の総点検を進めてきた県は「アクションプログラム300日」を発表。ソフト対策などで急を要するものは原則として300日以内(年度内)で対応し、国の制度改正など検討の時間を要するものは年度内に方向を明らかにし、年次計画を策定して推進することとした

6月9日
「地震防災対策特別措置法」成立(16日公布)

96年4月1日
地震発生時に被災地にいち早く入り初動態勢確立を支援する県緊急防災支援室(スペクト)が発足。県職員や派遣を受けた市町村や消防職員、警察官、ライフライン企業の社員などで組織された

県防災情報研究所が静岡市の県地震防災センター内に設立された

5月30日
耐震工法の県庁別館・防災警察棟完成

97年2月26日
藤枝の歪計が異常を感知し、東海地震の前兆かと騒ぎに。後で故障と分かり、機器の更新、拡充の必要性が浮き彫りになった

4月1日
県防災船TSL「希望」就航

県警に災害対策課が発足

4月21日
政府の地震調査研究本部の部会が観測網の重点を「予知」から「基礎調査」に移すよう求めた報告書を公表

28日
気象庁は地震防災対策強化地域判定会で、44年の東南海地震直前に観測された地殻変動量の2分の1から3分の1程度の変動が起きた場合に、その変動を現在の観測網でキャッチできる―との認識を示した

6月27日
測地学審議会が「地震予知の実用化は現状では困難」とした報告書をまとめた。東海地震の予知については一般の地震と切り離して可能性を認め、観測体制の継続を容認したが、予知への信頼を揺るがす現象を生んだ

7月17日
全国知事会議で「災害相互支援基金」創設決議を採択。被災者の生活再建を目的に国と都道府県が共同で基金をつくり、生活必需品の購入に必要な経費を給付する構想

9月1日
県総合防災訓練で初の「新シナリオ」。地殻の先行すべり(プレスリップ)を予知につなげるシミュレーションを導入した、科学的シナリオに基づき実施した

98年2月13日
東海地震を想定して県が初の図上訓練

3月31日
東海地震予知の判定会招集基準を改定。より微少な前兆で判定会を開くことにした

5月27日
気象庁は気象白書の中で「一般に地震の予知は困難。実用化に向け研究段階にある」と指摘。一方、東海地震については、地震発生前に断層がゆっくり滑る「プレスリップ」の検知のため本県と愛知県内計16カ所に設置されている「地殻岩石ひずみ計」の性能に触れ「地震発生直前のひずみ変化は、現在の地殻岩石ひずみ観測網でおおよそ補足可能である」とした

7月15日
測地学審議会は地震火山部会がまとめた新計画(99―03年度)の中間報告案を了承。東海地震に関し「巨大地震の発生準備過程の最終段階にある」とした

9月17日
地震発生時の海上輸送の強化を狙いに県と海上保安庁、海上自衛隊、海運機関などが連絡会を発足

99年2月8日
県が地域防災計画に追加する「復旧・復興対策」原案を策定

3月23日
県が市町村の防災力を点数化。平均点は63点

4月23日
政府が予知研究の継続などを盛り込んだ今後10年間の地震研究推進指針を決定

7月27日
国の中央防災会議が東海地震の防災基本計画を20年ぶりに修正

00年3月29日
地震財特法5年延長が参院で可決、成立

  

 ● 県内を襲った主な地震
        西暦684年以降、静岡県内を襲った主な地震の一覧と詳細です。


684年11月29日
東海道沖M8.4
奈 良
715年7月4日
遠江M6.5-7.5 山崩れで天竜川に天然ダム、数十日後に決壊し下流部に被害
平 安

841年
伊豆M7 丹那断層の活動か

1096年12月17日 
東海道沖M8-8.5 駿河で津波、社寺民家流失400余

1498年9月20日 
東海道沖M8.2-8.4 浜名湖今切決壊、駿河、伊豆に大津波、志太郡で26000人死亡。南海トラフ沿いの大地震とみられる

1589年3月21日
大井川沖M6.7 駿河・遠江で民家の倒壊が多数
江 戸
1605年2月3日
東海道沖M7.9 浜名湖付近80戸流失、死者多数

1633年3月1日 
相模湾沖M7 吉原、三島で家屋倒壊、熱海で津波被害

1703年12月31日
相模湾-房総沖M7.9-8.2 伊豆東海岸に津波、伊東、下田の被害大

1707年10月28日
(宝永大地震)東海道―南海道M8.4 御前崎で隆起、東海道筋の倒壊被害大

1854年12月23日
(安政東海地震)東海道沖M8.4 沿岸に大津波被害、下田で840戸が流失、122人死亡。駿府では200人余死亡、約600戸焼失。袋井では90%倒壊、掛川では死者150人

1855年11月11日 
安政江戸地震)江戸付近M6.9 下町で特に火事の被害大。

1857年7月14日 
駿河M61/4 田中城内で被害。藤枝、静岡で強く揺れ、相良で家屋が倒壊したという。
明 治
1891年10月28日 
濃尾地震)愛知・岐阜M8.0 仙台以南の全国で有感、わが国内陸地震としては最大。被害は愛知、岐阜を中心に死者7273人。遠州地方で家屋倒壊。静清地域で家屋小破損、伊豆で温泉温度変化。

1891年12月24日 
山中湖付近M6.4 沼津、三島で土蔵破損。
大 正
1917年5月18日 
静岡付近M6.3 れんが塀、れんが煙突倒壊などの被害。死者2人。

1923年9月1日 
関東大地震)関東南部M7.9 被害は東京、神奈川、千葉、埼玉、本県などに及び、死者計9万9331人。二次災害の火災による焼死者が大半を占めた。県内は死者375人、不明68人、負傷者1243人、家屋全壊2298戸、半壊1万219戸、焼失5戸、流失661戸。北伊豆、駿東郡の被害大。熱海で発震後約5分で津波が襲い、波高は湾奥で12メートル。県内震度は伊豆、東部で6、中西部は5だった(いずれも旧震度)。「富士山が噴火した」などといったデマが乱れ飛び、人々のパニック状態に拍車を掛けた。

1923年9月10日 
大島近海M5.8 稲取、下河津付近で道路破損

1924年1月15日
丹沢山塊M7.3 神奈川県中南部など、東京、山梨、本県に被害があり、駿東郡で負傷者26人、全壊10、半壊243

1926年8月3日 
東京湾中部M6.2 熱海で壁落下
昭 和
1929年7月27日 
丹沢付近M6.1富士山で落石

1930年3月22日 
伊東付近M5.8 伊東で屋根瓦(かわら)落下、壁に亀裂

1930年11月26日 
(北伊豆地震)伊豆北部M7.3 伊豆半島中部以北で震度6(旧震度)。前震を伴った地震で、三島では同月7日に2回、その後11日から数が増えて16日に約200回、さらに20日から25日まで連日約200回を記録した。そして25日午後4時5分からかなり強い地震があり、翌朝の大地震となった。被害は伊豆半島北部に集中。県内で死者259人、負傷者566人、家屋全壊2077戸、半壊5424戸、焼失75戸。丹那断層(総延長35キロ、横ずれ最大2―3メートル)とそれに直交する姫之湯断層などを生じた。各地で発光現象が見られた。最も多かったのはオーロラ状で、色は青。前日午後5時ごろから本震後1時間くらいまでの間で、地震の最中が顕著だったという

1934年3月21日 
天城山M5.5湯ケ島―天城峠間にがけ崩れ多発、伊豆の温泉に異常

1935年7月11日 
(静岡地震)静岡市付近M6.4大谷地震、久能沖地震ともいわれる。午後5時25分発生、震源地は有度山北側、深さ10キロ。静岡で震度6、熱海、下田、三島、沼津、御殿場、興津などで震度4、御前崎、伊東など震度3(いずれも旧震度)

被害は静岡、清水両市間の有度山周辺。死傷者は静岡市8218人、清水市1068人、有度村8人、その他5人の計9299人。家屋被害は静岡市が全壊237戸、半壊1412戸、清水市が全壊53戸、半壊263戸、有度村は全壊73戸、半壊151戸、その他の半壊が4戸

家屋全壊率が高いのは高松31.8%、西大谷24.3%、国吉田16.1%、池田14.9%、東大谷12.4%(以上静岡市)。家屋の滑動方向は東向きで最大55センチだった。伊豆台寺温泉の水位が約5日前から上昇し、地震後急降下し8月5日までに2.6メートルも下がったという

有度山は約10万年ほど前は静岡、清水平野の一部だったが、地殻変動で年3ミリの割合で隆起し現在の高さに達したといわれる。この隆起と地震は無関係でないとの見方がある


1944年12月7 日 
(東南海地震)東海道沖M7.9本県はじめ、愛知、三重、岐阜などで合わせて死者、不明1223人、家屋全壊1万7599戸、半壊3万6520戸、流失3129戸。長野県諏訪盆地でも家屋全壊12戸などの被害があった。津波が各地に襲来し、波高は熊野灘沿岸で6―8メートル、遠州灘沿岸で1―2メートル、下田では最大2.1メートルに達した。菊川、清水市で震度6(旧震度)。東海道線は袋井・太田川付近、浜名湖付近で路盤崩壊のため不通となり、太田川橋りょう付近では貨物列車が転覆したという

1946年12月21日 
(南海地震)南海道沖M8.0被害は国内中部以西の各地にわたり、死者1330人、家屋全壊1万1591戸、半壊2万3487戸、流失1451戸、焼失2598戸。津波が本県から九州に至る海岸に来襲した

1952年11月5日 
(カムチャツカ半島沖地震)カムチャツカ半島沖M8.3伊豆南岸、清水市に津波被害、折戸湾でカキなど流失

1960年5月23日 
(チリ地震津波)チリ沖M8.5波高は三陸沿岸で5―6メートル、その他で3―4メートル。北海道南岸、三陸沿岸、志摩半島付近で被害が大きく、県内では伊豆南岸、清水、菊川河口などで被害が出た。折戸湾で貯木場の木材が流失し、養殖真珠が全滅した

1965年4月20日 
大井川河口付近M6.1有感半径300キロを越える大きな地震となった。県内各地で被害を出し、富士宮市では、落ちた屋根がわらが頭に当たるなど、重軽傷3人を出した。清水市では倒れたたんすの下敷きになった赤ちゃんが死亡した。新幹線が数カ所で路盤沈下して一時運行不能となった

1974年5月9日 
(伊豆半島沖地震)伊豆半島沖M6.9県内各地の震度は石廊崎5、網代、三島、静岡4、御前崎、浜松3(いずれも旧震度)。被害は震源地に近い賀茂郡南伊豆町を中心に伊豆半島南岸一帯に及んだ。同町中木で山の斜面が地滑りし家屋33戸が押しつぶされ27人が死亡するなど、死者は30人を数えた。負傷者は102人、家屋全壊134戸、半壊240戸、道路被害86カ所。余震が頻発し、6月末までに有感が197回、無感が88回だった

1976年8月18日 
河津M5.4震度は網代、三島、石廊崎で3、御前崎2(いずれも旧震度)。河津町付近で家屋半壊3戸、一部損壊61戸

1978年1月14日 
(伊豆大島近海地震)伊豆大島近海M7.0有感域は広く九州を除く日本全土に及んだ。各地の震度は伊豆大島、横浜5、静岡、三島、網代、石廊崎、館山、東京、熊谷、新島など4(いずれも旧震度)。伊豆南部を中心に被災し、死者25人、負傷者211人、家屋全壊96戸、半壊616戸、道路損壊1141カ所、がけ崩れ191カ所。道路網の寸断で伊豆半島は全域にわたって孤立し、観光面でも大打撃を受けた。天城湯ケ島町の持越鉱山鉱さいたい積池が決壊し、シアンが狩野川に流失する被害も出た。前震が活発で、当日午前、気象庁から地震情報が出された

1980年6月29日 
伊豆半島東方沖M6.7震度は伊豆大島、網代5、東京、館山、三島など4、石廊崎など3(いずれも旧震度)。群発地震が25日ごろから相次ぎ、その中で発生した。伊豆半島で家屋全壊1戸、一部破損17戸、負傷者7人など

1983年8月8日 
神奈川・山梨県境M6.0丹沢山地で落石があり1人死亡、8人が負傷。本県では東部の小学生ら2人が負傷した。東京電力沼津支店管内の42万世帯が最高約6時間停電するなど、山梨、神奈川、東京を含めた広い地域で停電に見舞われた。駿東郡小山町の東電新富士変電所が、耐震設計にもかかわらず、故障した。駿東郡小山町で39戸の屋根がわらが落ちるなど家屋の一部損壊が続出した

1989年7月13日 
(伊豆東部火山群海底噴火)数日前から伊豆東沖で群発地震が活発化。この日、伊東港の北東約3.2キロの手石島付近で海底から噴火し、ごう音とともに海面が直径約100メートルにわたって高さ約30メートル盛り上がり、灰黒色の煙が上がった。気象庁によると、本州の沿岸部の海底で噴火したのは有史以来初めて。伊豆半島東方沖では9日に発生したマグニチュード(M)5.5を最大とする群発地震が発生していた。伊東市では全職員を非常招集した。また、県は災害対策本部を設置し、津波被害などに備えた

(「県内を襲った主な地震」は今回で終わります。

(国立天文台編「理科年表」などによる)


 

   ● 国内を襲った主な地震
        20世紀に入ってからの日本国内を襲った主な地震の一覧と詳細です。

明 治
1901年6月24日
奄美大島近海M7.5

8月9日
八戸地方M7.2 死傷者18人。10日前にも同程度の地震

1902年1月30日
三戸地方M7.0 死者1人

1903年8月10日
乗鞍岳西方

1904年5月8日
新潟県六日町付近M6.1

1905年6月2日
(芸予地震)安芸灘M7.3 広島、呉、松山付近で被害が大きく、死者11人。1903年以来、この地域で地震多発

1905年6月7日
大島近海M5.8 2日前から200回以上の前震

1909年3月13日
房総沖M6.7、M7.5

8月14日
(姉川地震)滋賀県姉川付近M6.8 滋賀、岐阜両県で死者41人。家屋全壊978戸。姉川河口の湖底が数十メートル深くなった

8月29日
沖縄M6.2 死者1人

11月10日
宮崎県西部M7.6 深さ約150キロの深発地震。宮崎、大分、鹿児島、高知、岡山などで被害

1910年7月24日
有珠山M5.1 15日以来地震頻発。約7時間後に有珠山が爆発

1910年9月8日
北海道天塩鬼鹿沖M5.3

1911年6月15日
喜界島近海M8.0死者12人。家屋全壊422戸。有感域は中部日本に及んだ
大正
1912年8月17日
長野県上田町付近M5.1

1913年6月29日
鹿児島県串木野南方M5.7 翌日M5.9の再震

1914年1月12日
桜島M7.1 桜島の噴火で発生した地震。死者約20人

3月15日
秋田仙北地震)秋田県仙北郡M7.1 死者94人。家屋全壊640戸。地割れ、山崩れ多発

3月28日
秋田県平鹿郡M6.1

1915年3月18日
北海道広尾沖M7.0 死者2人

11月16日
房総半島M6.0 12日から地震が続いていた

1916年2月22日
浅間山ろくM6.2

11月26日
神戸M6.1 死者1人、有馬温泉の泉温1度上がる

1917年5月18日
静岡付近M6.3 死者2人

1918年9月8日
ウルップ島沖M8.0 沼津まで地震を感じる

11月8日
ウルップ島沖M7.7 東京で有感

11日
大町地震)長野県大町付近M6.1とM6.5の2回 大町を中心に15センチほど土地が隆起

1921年12月8日
茨城県南部 M7.0

1922年4月26
浦賀水道 M6.8 東京湾沿岸に被害。死者2人

12月8日
長崎県千々石湾 M6.9 長崎県で死者26人。家屋全壊195戸

1923年9月1日
関東大震災)関東南部 M7.9 死者計9万9331人。火災による死者が大半

山梨県南東部 M6.8 関東大地震の余震


1924年1月15日
丹沢山塊 M7.3 死者19人。家屋全壊1200戸余

1925年5月23日
北但馬地震)但馬北部 M6.8 死者428人。家屋全壊1295戸
昭和
1927年3月7日
北丹後地震)京都府北西部 M7.3 死者2925人。家屋全壊1万2584戸。

10月27日
関原地震)新潟県中部 M5.2

1930年6月1日
那珂川下流域 M6.5

11月26日
北伊豆地震)伊豆北部 M7.3 県内で死者259人、家屋全壊2077戸

1931年9月21日
西埼玉地震)埼玉県西部 M6.9 死者16人。家屋全壊207戸

11月2日
日向灘沖 M7.1 死者1人

1933年3月3日
三陸地震津波)三陸沖 M8.1 死者、不明3064人。家屋流失4034戸。波高は岩手県綾里湾で28.7メートル

9月21日
能登半島 M6.0 石川県鹿島郡で死者3人

1934年8月18日
岐阜県郡八幡付近 M6.3

1935年7月11日
静岡地震) 静岡市付近 M6.4 死者9人、傷者約9300人

1936年2月21日
河内大和地震) 大阪・奈良 M6.4 死者9人。地面の亀裂や噴砂、湧水現象も見られた

11月3日
金華山沖 M7.5

12月27日
新島近海 M6.3 新島、式根島で死者3人。前日ごろから前震

1938年1月12日
田辺湾沖 M6.8

5月23日
塩屋崎沖 M7.0

29日
屈斜路湖付近 M6.1 西岸に被害多発。死者1人

6月10日
宮古島北北西沖 M6.7

11月5日
福島県東方沖地震) 福島県東方沖 M7.5 この後、年末までM7前後の地震が多発。福島県内で死者1人

1939年3月20日
日向灘沖 M6.5 宮崎県で死者1人

5月1日
男鹿地震) 男鹿半島 M6.8 2分後にもM6.7の地震。死者27人。家屋全壊479戸。半島西部が最大44センチ隆起

1940年8月2日
北海道神威岬沖 M7.5

1941年7月15日
長野市付近 M6.1 長野市北東の村々に被害。死者5人

11月19日
日向灘M7.2 死者2人

1943年3月4日
鳥取付近M6.2 翌日にも再震

8月12日
田島地震) 福島県田島付近M6.2

9月10日
鳥取地震) 鳥取付近M7.2 死者1083人 家屋全壊7485戸。鹿野断層と吉岡断層を生じた

10月13日
長野県古間村M5.9 死者1人

1944年12月7日
東南海地震) 東海道沖M7.9 死者不明1223人、家屋全壊1万7599戸

1945年1月13日
三河地震) 愛知県南部M6.8 死者2306人、家屋全壊7221戸、深溝断層を生じた

1946年12月21日
南海地震) 南海道沖M8.0 中部以西の日本各地に被害。死者1330人、家屋の全壊1万1591戸。高知、三重、徳島沿岸に津波

1948年6月15日
和歌山県田辺市付近M6.7 死者2人

28日
福井地震) 福井平野M7.1 死者3769人、家屋倒壊3万6184戸

1949年7月12日
安芸灘M6.2 死者2人

12月26日
今市地震) 栃木県今市付近M6.2 、M6.4 死者10人。家屋全壊290戸

1952年3月4日
十勝沖地震) 十勝沖M8.2 関東地方に津波及ぶ。死者28人、家屋全壊815戸

7日
大聖寺沖地震) 石川県西部沖M6.5 死者7人

7月18日
吉野地震) 奈良県中部M6.8 死者9人。春日大社の石灯篭1600のうち650倒壊

11月5日
カムチャツカ半島沖地震) カムチャツカ半島沖M8.5 伊豆南岸、清水市に津波

1953年11月26日
房総沖地震) 房総半島沖M7.4 関東沿岸に小津波

1955年7月27日
徳島県南部M6.4 死者1人

10月19日
二ツ井地震) 秋田県米代川下流M5.9

1956年9月30日
宮城県南部M6.0 死者1人


千葉県中部M6.3

1957年11月11日
新島近海M6.0 6日頃より前震

1959年1月31日
北海道・弟子屈付近M6.3、M6.1

1960年3月21日
三陸沖M7.2

5月23日
チリ地震津波) チリ沖M8.5 波高は三陸沿岸で5―6メートル。死者不明142人、家屋全壊1500余戸

1961年2月2日
長岡付近M5.2 死者5人。典型的な局地地震。家屋全壊220戸

27日
日向灘M7.0 死者2人

8月12日
釧路沖M7.2

1961年8月19日
北美濃地震)岐阜県北部M7.0 死者8人

1962年4月23日
北海道広尾沖M7.0

4月30日
宮城県北部地震) 宮城県北部M6.5 死者3人、家屋全壊340

1962年8月26日
三宅島M5.9 24日の三宅島噴火に伴う地震

1963年3月27日
越前岬沖地震)福井県沖M6.9

1964年5月7日
男鹿半島沖M6.9

6月16日
新潟地震)新潟県沖M7.5 死者26人。家屋全壊1960戸。新潟市内で噴砂水がみられた。日本海沿岸に津波

1965年4月20日
静岡付近M6.1 死者2人

8月3日
松代群発地震) 長野県松代付近終息した70年末までに松代で有感地震6万2821回

1967年4月6日
神津島近海M5.3

1968年2月21日
えびの地震)霧島山北麓M6.1 死者3人。建物全壊368。2時間ほど前にM5.7の前震。翌日にもM5.6の余震

4月1日
1968年日向灘地震)日向灘M7.5

5月16日
1968年十勝沖地震)青森県東方沖M7.9 死者52人。建物全壊673

7月1日
埼玉県中部M6.1

8月6日
愛媛県西方沖M6.6

1969年9月9日
岐阜県中部M6.6 死者1人 がけ崩れ多発

1970年1月1日
奄美大島近海M6.1

21日
北海道南部M6.7

7月26日
日向灘M6.7

10月16日
秋田県南東部M6.2

1971年2月26日
新潟県南部M5.5 数カ所で雪崩

1972年2月29日
八丈島近海M7.1 水道管破裂で断水2130世帯

12月4日
八丈島東方沖地震)八丈島近海M7.2

1973年6月17日
根室半島沖地震)根室半島南東沖M7.4 24日にもM7.1の余震

1974年5月9日
伊豆半島沖地震)伊豆半島沖M6.9 死者30人。伊豆半島南端に被害

1975年1月23日
阿蘇山北縁M6.1

4月21日
大分県中部M6.4

1978年1月14日
伊豆大島近海地震)伊豆大島近海M7.0 死者25人。当日午前、気象庁が地震情報

6月4日
島根県中部M6.1

12日
宮城県沖地震)宮城県沖M7.4 死者28人。家屋全壊1183戸。開発造成地の被害目立つ

1980年6月29日
伊豆半島東方沖M6.7

1982年3月21日
浦河沖地震)浦河沖M7.1

1983年5月26日
日本海中部地震)秋田県沖M7.7 死者104人(このうち津波による犠牲者が100人)。建物全壊934戸。津波は早い所では警報発令前に沿岸に到達

8月8日
神奈川・山梨県境M6.0 死者1人

1984年8月7日
日向灘M7.1

9月14日
長野県西部地震)長野県西部M6.8 死者29人。王滝川・濁川流域などに発生したがけ崩れや土石流による被害がほとんど

1987年3月18日
日向灘M6.6 死者1人

12月17日
千葉県東方沖M6.7 死者2人

1993年1月15日
釧路沖地震)釧路沖M7.8 死者2人

7月12日
北海道南西沖地震)北海道南西沖M7.8 死者202人。地震後、津波が襲った奥尻島の被害が大きく、島南端が壊滅

1994年10月4日
北海道東方沖地震)北海道東方沖M8.2 択捉島で死者・不明10人

12月28日
三陸はるか沖地震)三陸沖M7.6 死者3人

1995年1月17日
阪神淡路大震災)淡路島北部M7.3 死者6400人余。家屋全半壊24万戸以上

2000年7月1日
神津島東側近海M6.4 死者1人

10月6日
鳥取県西部地震)鳥取県西部M7.3
(国立天文台編「理科年表」などによる) 
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