『戦艦等四隻以上屠る』『敵の大船団迎撃』『神風特攻隊等出撃』
昭和十九年(一九四四年)の東南海地震=マグニチュード(M)7・9=から二日後の十二月九日付本紙朝刊は、一面に大きく戦果を掲載している。普通なら次々に判明する地震被害がトップに報じられるはずだが、戦時中の特殊事情で地震関連記事は二面に。県などの復旧活動の報告が中心で、写真もなく、実際の被害事実は記事中に探すしかない。
『清水市の災害中最も甚だしかつた方面はほとんど全壊といふ状況であるが罹災者の一家幸町小早川いまさん(45)の自宅は全壊で一片の原形をとどめるまでもない惨状だった』
『縣に非常對策本部設置』といった記事の横隅に『雄々し復興へ』との見出しで紹介された清水市の被災例。民家が『全壊』という事実から揺れの激しさが推測できるほか、記事中には『ほんとに驚いた、こんなに壊れて手のつけようがありません…』と肉声も伝えられ、衝撃を受けた被災民の様子などが断片的にうかがい知れる。
さらに小さな記事に『清水市巴町で三人圧死』ともあり、取材が当初は県中部中心で、西部からの情報が少なかった側面も推測できる。
全国紙も戦果報道が中心で、地震被害の全体像は、小さな記事の間から何とか知ることができる。
『東海地方を襲つた七日の地震は意外な強震だったが一部に倒半壊の建物と死傷者を出したのみで大した被害もなく郷土防衛に挺身する必勝魂ははからずもここに逞しい空襲と戦ふ片鱗を示し復旧に凱歌を上げた』と十二月八日付朝日新聞にはあり、名古屋市で税務署の建物が倒壊したことなど簡単な被害例が記されている。ほかに大阪、長野で家屋倒壊の被害などがあったことが取り上げられ、よく読めば被害が広範囲に及ぶ大規模地震だったことが分かる。
この記事のそばには「濱松」と題して『浜松地方の地震は弱震を感じて間もなく急激にその強さを増したが、空襲の体験を得て来た一般人の待避はまづ順調であつた』といった記事が並ぶ。「静岡」と題した記事には『静岡縣下一帯に強震あり』といった地震の事実のほかに、『賀茂郡下田町には二時三十分ごろ高波あり、浸水家屋を生じた』と短い記事ながら注目すべき津波の事実も報道されている。
(2002.12.10掲載)