戦時中に起こった巨大地震が特別扱いされたのは、新聞紙上だけではなかった。東南海地震=マグニチュード(M)7・9=の情報収集に当たり、報道機関への発信元となる中央気象台(現気象庁)も、調査はごく一部の職員らが行い、報告は極秘扱いだった。
『本報告ハ極秘事項ヲ含ムヲ以テ之ヲ厳重ニ保管シ其ノ保管状態ニ変動ヲ生ジタル場合ハ遅滞ナク発行者ニ報告シ用済後不用トナリタル場合ハ直チニ発行者ニ返却スベキモノトス』
調査をまとめた「東南海大地震調査概報」(昭和二十年二月二十日発行)の表紙には、厳重注意のただし書きが記されている。肩には『極秘』の大文字。内容は大地震にしては極端に少ない全九十四ページで、十人ほどの技師らが現地報告を書いている。
その最初の項目は、藤原咲平気象技監の「地震調査私見」。
『昭和十九年十二月七日、静岡、愛知、三重三縣を中心として大地震起り被害大なり。殊に軍国重大なる時機に於て汽車不通を生じ、輸送力に對する影響甚大なる』との書きだしで、当時の運輸通信大臣の鉄道被害視察に随行し、地震後二日目の九日夜から十一日朝までの中一日の日程で東京から名古屋までを往復した、と記している。
中身は被害の印象をまとめた簡単な内容だが、当時の浜松測候所管内(大井川以西)の状況は比較的詳細に記述している。『東海道本線沿線に於ては掛川袋井間線路の撓曲沈下個所あり。附近民家中脆弱なるものの倒潰せるものあり』とし、袋井―磐田間の線路沈下や列車の転覆、数十センチ動いてしまった天竜川鉄橋の被害の様子などを列挙している。
さらに、『新居駅に至る間は日本楽器、鈴木織機等の工場に部分的破壊多きを見る』『舞阪附近工場の被害大なり』『弁天島より西方の国道低地に盛り土して築造したる部分に道路に平行に亀裂あり』『鷲津駅より西方に於て線路の沈下約十米に及ぶものあり』と具体的に記している。
当時、この報告書がどのような扱いを受けたかは定かではないが、八ページにわたって被害写真三十点余りが収録され、地震の全体像を推測できる貴重な資料になっている。
(2002.12.16掲載)