『昭和19年12月7日13時36分頃に遠州灘及び熊野灘の沿岸は近来稀な大規模地震に襲われて、相當な被害を生じた。特に熊野灘沿岸では発震後10分乃至(ないし)15分して顕著な津波に見舞れ、同方面は其の為に一層の被害を受けた。筆者は全国各測候所よりの験測結果の報告に基づき概略の調査を行ひ得たので其の大要を報告する』
「極秘」と記された中央気象台(現気象庁)の「東南海大地震調査概報」(昭和二十年二月発行)に収録された本間寧氏のリポートだ。ここには震度分布図が明記されたうえ、地震規模や津波の状況などもまとめられ、巨大地震の全ぼうが初めて科学的に把握されている。
これによると、各地の初期微動時間のデータなどから『震央は東経137度0分、北緯34度0分と定められた』とあり、場所は『志摩半島南々東約20粁(キロ)沖の地点である』としている。ただ、『断る迄も無い事であるが』として『かかる大地震を生ずるエネルギーが此の一点に凝集して居たと云ふのではない。エネルギーが集積した場所、即ち震源域は相當に大きなものである事は論をまたない』ともしている。
この震源域については後々、多くの研究者らが解析を進め、現在では、熊野灘から遠州灘にかけた“巨大な震源域”がよく知られる。その大きさは長さだけでも百キロほどもあり、本間氏の『相當に大きなもの』とした表現は的を射ていた。また、震源の深さは当初から『極めて浅く十数粁』とされていた。
規模については『有感半径は620粁、震度5の区域は190粁、4は320粁、3は500粁』と震度分布の広さを関東大震災(有感650キロ、震度5が170キロ、4は270キロ、3は380キロ)と比べ、『有感半径は相等しいが、(中略)今回の方が稍大であると云へる』としている。
地震の規模を表すマグニチュードで言うと、その後の研究で、M8・0からM8・3まで大きめの数値が発表されているが、現在はM7・9程度と見るのが一般的だ。
さらに特徴として、震源からの遠隔地ながら福井や諏訪、甲府で被害が大きかった点や掛川、袋井での被害、志摩半島の津波被害の大きさを挙げている。これらの特徴や地震規模から、現在「安政東海地震」(一八五四年)と呼ぶ『安政元年11月4日の大地震』に『酷似している』とリポートは結論付けている。
(2002.12.23掲載)