『村役場の某氏は地震と同時に東向きの出口から外へ飛び出したが、體が北へ曲つて倒されたので膝と手をついて起上らうとしたが立ち得ないでゐる中、樹木は大ゆれに動揺して砂煙が著しく立昇つた様に思つた。その時家がバサバサ倒れた。恐らく砂煙は家の倒れる時のものだらう、と言つてゐる』
中央気象台(現気象庁)の「東南海大地震調査概報」(昭和二十年二月発行)に収録された実地踏査報告には、県内の被災状況が一部生々しく記されている。『村役場…』の記述は、現在の掛川市から豊橋市までをまとめた『遠江灘沿岸地方』の調査記録の『田原村』の項目にある。
田原村は現在の磐田市と袋井市の境付近にあった旧の村で、最も揺れが激しかった太田川沿いの地盤の悪い地域だ。報告には字ごとの被害表も載っていて、▽「玉越」地区=世帯数二十一のうち、全壊十八戸、半壊三戸▽「西島」地区=世帯数六十七のうち全壊二十九戸、半壊三十二戸―といった具合に、民家のほとんどがつぶれた状況が記録されている。添えられた死傷者数は、村全体で死者三、重傷三、軽傷二となっている。
この地は東海道線が大きな被害を受けた場所としても知られ、『国鐵東海道線では太田川鐵橋の東方盛土部で上り貨車が北方に顛覆し車輌の火災を起こした』との記述もある。現場状況から『この部分は東方に向ひ緩い降り勾配なる為、相当の速度で列車が進行してゐたわけである』と推測し、『尚西隣の御厨村地内のカーブ附近でも貨物列車の顛覆事故があり之も北側へ顛覆した』と列車の倒れた方向に注目している。
この調査報告書は気象技師の本間正作、齋藤光太郎、山崎彦四郎、金原興四郎の四氏の連名で執筆されている。報告書全体は極秘扱いで、戦時中の調査には相当制限があったと考えられるが、自治体の協力もあってか各市町村被害の要点がよく網羅されている。
(2003.1.1掲載)