『清水市に這入ると静岡電気鐵道の相生町駅附近に倒壊家屋が見られた。市役所の調査に依ると第1表の如く市内の死者19名、重軽傷者110名、全潰住家840棟、半潰住家148棟(中略)建物の被害は特に巴川の右岸に沿ふて甚しく、岡上一丁目は全潰5割、半潰5割で…』
中央気象台(現気象庁)の「東南海大地震調査概報」(昭和二十年二月発行)には、掛川以東の実地踏査報告も収録されている。
調査人は井上宇胤技師。昭和十九年十二月七日の東南海地震=マグニチュード(M)7・9=は、袋井、磐田市など県西部のほかにも県内各地に被害を与え、調査範囲は広範にわたった。
井上技師が訪れた清水市は県西部に次ぐ、被災地。一覧表には、各町内ごとの死傷者、住宅被害が列挙され、報告書には『家屋の倒壊迄に相當の時間があつたので家の中に居た年寄子供も皆外に出られたが道路上で石造の倉庫が倒れ掛つて死亡したものもあつた』と震源から遠い清水市の被害の特徴も記されている。
実地踏査は相良町や御前崎村(現町)へも。相良の『横町には多数の全半潰家屋があった』とされ、地頭方村では国民学校が半壊し、外廊下の下敷きで児童二人が亡くなった、と記されている。御前崎は白羽村(現御前崎町)の被害や測候所の様子が中心で、『燈台は高さ17米であるが基礎から3米の所に亀裂が這入つた』と記録があり、津波が最大二メートルで五回観測された、などと津波関連の記述が目立つ。
さらに、菊川周辺の町村へも井上技師は足を延ばしている。『菊川の流域の大坂村、千濱村、平田村、横地村等は家屋の被害甚大であつた』と現在の大東、小笠、菊川町の被害を取り上げ、『千濱村』(現大東町)は『家屋の被害は菊川の流域と支流の高杉川に挟まれた版圍(範囲)に見られ所々に倒壊して居た』としている。千浜の被害は『住家全潰128棟、半潰207棟、死者4名』、平田村(現小笠町)も『住家全潰324棟、半潰は266棟(略)死者8名』と犠牲者が多かった。
当時、情報は本当に集まりにくかったようで、井上技師は『鐵道其の他の方面からの情報に依つて相當重大な被害のあつた事が知れたが8日に至つて警保局の報告に依つて始めて廣版圍に著しい被害があつた事が知れた。早速く地震課員を4班に分けて震災地の調査を分擔する事にして筆者は静岡縣下の掛川以東の地域の調査に出掛けたのである』と実地踏査の経緯を記している。
(2003.1.7掲載)