県内で軟弱地盤の家屋倒壊被害が大きかった東南海地震=昭和十九年十二月七日、マグニチュード(M)7・9=は、県外では別の顔を見せた。紀伊半島の沿岸各地を大きな津波が襲ったのだ。
『尾鷲警察署の御調査に依れば此の町の被害、12月14日現在、下記の通りである』『死者29名、行方不明67名、全潰並流失家屋604棟、半潰139棟、浸水家屋1644棟、漁船流失42隻(中略)其の他消息不明の定時漁船多数あり…』
中央気象台(現気象庁)の極秘文書「東南海大地震調査概報」(昭和二十年二月発行)に収録された「三重・和歌山両縣下実地踏査報告」には、各市町村ごとに津波被害がまとめられている。『死者29名、行方不明67名』と大勢の犠牲者を出した三重県尾鷲町(現尾鷲市)の記録は詳細で、『第一波の極大14時2分にて、之より先測候所の屋上にて湾のE部の浅瀬に白波を立て押し寄せて来る様を見る事が出来た』と尾鷲測候所の観測記録なども添えられている。このE部とあるのは添付地図上の地点名で、湾の南部。
それによると、津波の第一波が襲来したのは、午後一時三十六分の地震発生から二十六分後で、大きな波の極大値(ピーク)は第六波まで数えたとしている。その波の高さは、湾内の突堤にあった灯台の『支柱の部分(6・8米)は隠れて仕舞った』と約七メートルの数値を推定している。
和歌山県でも新宮市や勝浦町及び那智町(現那智勝浦町)などの被害を報告している。勝浦町と那智町を合わせた死者は三十四人、行方不明者は三人、流失家屋は二百五棟に上っている。津波の到達は地震後約十分で、波高は推定約五メートル。地震動による被害はなかったとしている。
この報告書にはさまざまな被害統計も収められているが、三重県警察部警防課調査の統計だけ見てみても、死者百六十九人、行方不明者九十人、全壊家屋二千六百四十三棟、流失家屋千八百一棟にも上っている。
(2003.1.13掲載)