国内外の主要な地震を漏れなく収録している東京大学の「地震研究所彙報」も、昭和十九年十二月七日の東南海地震=マグニチュード(M)7・9=は“特別扱い”だった。当初、掲載された報告はわずか四本。昭和二十年になって発表された地震と津波の被害などのまとめが、昭和二十一年受理分・第24号の報告に入っている。
その一本目は水上武氏(当時・東京帝大助教授)と内堀貞雄氏(同非常勤技術雇い)連名の「東南海地震に就いて 特に震害と余震の分布」。『昭和19年12月7日東南海道沖に発生した地震は静岡、愛知両縣を中心として全、半潰家屋5萬戸以上を生じ、その他の構築物に多大の損害を與えた』と書き出し、各地の家屋被害率と地盤の関係などを分析している。
目を引くのは警察署単位の家屋倒壊率の一覧表だ。飛び抜けて高いのが「見付」(現所在地は磐田市)で、率は21・6%。震央からの距離112キロとある。
以下、(2)港(愛知県名古屋市)12・6%、距離117キロ(3)森(周智郡森町)11・4%、距離120キロ(4)清水(清水市)11・2%、距離172キロ(5)堀之内(小笠郡菊川町)9・6%、距離127キロ(6)掛川(掛川市)7・8%、距離125キロ―と続く。県内ではほかに(10)新居(浜名郡新居町)5・5%、距離87キロ(14)濱松(浜松市)2・8%、距離87キロ―の二署分が十八番目までの一覧表に入っている。
これについては『大井川、天竜川等の流速の大きい即ち下流地域迄大石の存在する流域よりも、太田川、菊川、巴川(清水)、沼川(吉原)等の比較的流速の小さい泥沼川流域に著しい損害を生じて居る事は注目される所である』と分析している。大河川の流域は礫(れき)質で地盤が強く、中小河川は泥質で地盤が弱いということだ。
二本目は表俊一郎氏(東京帝大助教授)の「昭和19年12月7日東南海大地震に伴った津波」の報告。下田市から潮岬(和歌山県)までの各地の津波被害をまとめ、波高は志摩半島で最高十メートルにも達したと推測している。検潮所などの記録から熊野灘に津波の発生源となった場所、『浪源』も推定している。
いずれの報告も、簡単な内容。紙質も悪く、戦時下に起こった大地震に対する調査、報告の特異性を物語っている。
(2003.1.20掲載)