東京大学の「地震研究所彙報」で、東南海地震(昭和十九年十二月七日)を当初扱った四本の報告のうち、三本目は二本目と同じ表俊一郎氏(当時・東京帝大助教授)の「東南海地震及び三河地震による地盤危険率の比較」だった。
三河地震は、東南海地震の約一カ月後の昭和二十年(一九四五年)一月十三日、愛知県南部を震源に局地的に激しく揺れた地震で、マグニチュード(M)は東南海の7・9に比べ、規模で約三十分の一程度の6・8だったが、犠牲者は倍近い約二千三百人にも達した。表氏は、震源までの距離が遠かった東南海地震との被害比較を試みているが、内容は三河地震が中心で、東南海地震に触れた部分は少ない。 四本目は宮村攝三(せつみ)氏(当時・東京帝大助手)の「東海道地震の震害分布」。この報告は、現地踏査結果や統計資料などをまとめ、被害のあったほとんどすべての市町村の「震害」を一覧表にした内容で、資料的に価値の高いものとなった。
それによると、静岡県は総戸数三十五万九千三に対し、家屋の全壊数は五千八百二十八戸で、全壊率は1・6%。半壊は七千八百十五戸で、2・2%となっている。死者数は二百五十五人。愛知県全体の三百六十人より若干少ない。
市町村の項目は、東の富士郡吉原町(現富士市)から始まり、西の浜松市と追加の清水市まで含め、百二十四自治体を一覧表にしている。死亡率で目立つのは、やはり中遠地方で、千分率で磐田郡袋井町(現袋井市)が6・75(死者六十四人)、周智郡山梨町(現袋井市)6・52(死者二十二人)、磐田郡三川村(現袋井市)3・87(死者十二人)。犠牲者数では浜松市の二十一人、清水市の十六人、浜名郡鷲津町(現湖西市)の十二人などが目立つ。
この被害率を地図上に落とし、震央からの距離との関係も論じていて、『震央にちかいところにも無被害がある一方、とほく震央をはなれたところにも全潰を生じてゐて、いはゆる震害と地盤の関係がきはめていちぢるしくあらはれた』と分析している。
ちなみに、なぜ「東海道地震」と題したかについては『東南海とは東海道南海道の略であらうが、きはめてまぎらはしく、かつこの地震に對し不適當でもある』とし、『略して「東海地震」といつてもよい』と書いている。
(2003.1.27掲載)