『納屋の泥の壁はほとんど落ち、瓦がたくさん落ちました。東側の道路、前の道路が地割れして、一面水が噴き出しました。田の水もひどくにごりました。田からも水が噴き出したようで、水の量がとても多くなりました。裏の井戸の水がとびだし、水はとてもにごりました』(山ケ谷=現小笠郡浜岡町 水野義郎)
昭和十九年(一九四四年)の東南海地震=マグニチュード(M)7・9=は大きな横揺れで、県西部の各地に液状化現象を引き起こしたことでも知られる。県中遠振興センター(現中遠県行政センター)発刊の「東南海地震の記録」に収録された、浜岡町の「水野義郎」さんの証言からは、液状化した地面から「噴水」現象があったことが分かる。
『花面と言って川を埋めて畑にしたところでは父母が仕事中でしたが、20~30センチ位の地割れができて、水がふきだした』(西ケ崎=小笠郡小笠町 竹林たま江)
『先生の「急いで外に出なさい」の声に出入り口から運動場に逃げようとしたが、足をとられ、歩けませんでした。(中略)運動場の中央にやっとの思いでたどりついた時には、運動場のあちらこちらにヒビ割れができて地下水が出て流れていました』(宮ケ谷=浜岡町 鈴木俊彰)
『ドゥーッという様な地鳴りがしたと思うと、足元がグラグラしだした。するとすぐ、田んぼのあちこちから水がピューピュー噴き出してきた。(中略)この水は地震が終わった後は出ず、出口もわからなかった』(向笠=磐田市 磯部重左衛門)
液状化は、水を含んだ砂の地層が地震動によって揺すられ、どろどろの液体状になる現象で、揺れが激しいと、砂の粒子がすき間を埋めるように沈み、すき間にあった細かい砂や水を噴き出すので知られる。新潟地震(一九六四年、M7・5)や日本海中部地震(一九八三年、M7・7)などで、建物が傾いたり転倒する被害が出て、注目されるようになったが、東南海地震でも、比較的地盤が弱い砂地を中心に特徴的に発生していたのだ。
「東南海地震の記録」をまとめた県西部の教師らのアンケート調査では、天竜川や太田川、菊川など河川沿いの低地や海岸砂地で液状化は見られた。地質的には河川土砂がたい積した沖積層と呼ばれる地層で、「比較的ゆるくたい積した砂地」と「地下水面が高い」ことが条件になったようだ。
(2003.3.11掲載)