『家の柱の差し込みの所がギューギューと音をたてながら、ぬけたり、ささったりして、もう家がだめになるか、つぶれてしまうのではないかと思いました』(池新田町本町=現小笠郡浜岡町 千葉とら)
昭和十九年(一九四四年)の東南海地震=マグニチュード(M)7・9=は横揺れが激しく、多くの家屋を破壊した。県中遠振興センター(現中遠県行政センター)発刊の「東南海地震の記録」に収録された証言には、建物がどのように揺れて壊れたかが描かれている。
『最初はズシンときた。「地震だ」と感じ、火鉢を持つまではそれ程大きいとは感じなかったが、「ミッシン、ミッシン」家の動く音で、「でっかい地震かな」と感じた』(新野村新野=浜岡町 増田義郎)
この「増田」さんの証言は、屋外へ逃げ、外から見た様子へ続く。
『母屋を振り返った頃は、揺れの最高潮だった。それから40秒位だったかと思うが、大ゆれにゆれた。母屋が東西に「ミッシ、ミッシ」と音をたてながら15度位かたむいた感じで7、8回、振り子のように動いた。この間に奥八畳の座敷の壁が「メリメリ」と振り落とされた。(中略)脇屋の棟瓦が1メートルくらい二カ所振り落とされて、「ガラガラ」オードの真ん中へ落ちてきた』
この母屋、脇屋は傾いただけで、倒れなかったようだが、証言からは横揺れが何度も家屋を襲った様子がよく分かる。
『北方の自分の家を見ると、しなるようにゆれていた。そのうちに一軒おいて東隣の三階屋(1階は商店、2階が5間四方もあり、3階は養蚕のための息ぬき)の屋根瓦が石をころばしたように上からザラザラ落ちてきた。2分とはたたないうちに北から南へグシャンと倒れた』(幸浦村大野=磐田郡浅羽町 磯部村治)
『木立は木の頂上が地面に着くかと思う程でした。その内に脇屋のヒサシは崩れ落ち、用水の器は倒れてころがりました。家の中の戸や障子はビシビシと折れ、前隣りの家は見る見る間に倒れて屋根だけが座っていました』(大渕村大渕=小笠郡大須賀町 杉浦好子)
これらの証言からは、戦前の建物が柱や筋交いが少なく、上部が重い構造のものもあって、耐震性に乏しかったことなどが推測できる。だが、一義的には、軒先が地面に着かんばかりに家屋を揺さぶる、激しい横揺れが東南海地震の特徴であったとも言える。
(2003.3.17掲載)