昭和十九年(一九四四年)十二月七日に発生した東南海地震=マグニチュード(M)7・9=は県内の広範囲に被害を及ぼし、各市町村ごとに記録が残るケースも多かった。その記録や資料は市町村ごとの被災の特徴をよく表している。
『重要工場被害状況調』『日本楽器天竜工場=全壊五棟、七七〇〇坪、半壊一棟、六〇〇坪、死者三人、重傷三人、軽傷二三人、工場被害四四五〇〇〇〇円』『天竜兵器鶴見工場=全壊四棟、三三七坪…(以下略)』
浜松市中央図書館に保存されている『濱松警察署』の『昭和一九年十二月七日 震災被害状況書類』からは、浜松市と周辺町村(現在の浜松市や浜名郡三町)の被災状況が浮かび上がる。特に当時の浜松市周辺は重要な軍需工場が集まる地域で、警察の調査は市民の死傷者とともに、工場が受けた打撃に重きが置かれたようだ。
『重要工場被害状況調』とまとめられた記録には、「日本楽器」や「天竜兵器」といった会社名のほか「河合楽器」「日東航空」「小糸航空」「鈴木織機」「中島飛行機」「東京無線」「遠州機械」といった名前が続く。いずれも全壊棟数が数棟から十数棟と多く、死者も小糸航空が九人、鈴木織機高塚工場が五人、日本楽器と遠州機械が三人、などと犠牲者が出ている。
戦時中の生産体制には厳しい目が注がれていたようで、各工場ごとに『応急一週間、完全二カ月』などと復旧見込みも記されている。『操業ニ支障ナシ』の工場もあるが、『三、四カ月ヲ要ス』と打撃が大きかった様子もうかがわれる。
調査は詳細で、『百名以上ノ工場被害』もまとめられている。鉄工所や機械製作所の会社名が二十以上掲載されている。
さらに『震災ニ因ル重要工場生産率出勤率復旧率調査相遂ゲタルニ左記ノ通リ有之候』と工場の稼働率も詳しく調べている。被害が大きかった日東航空などは、二週間後の十二月二十日の生産率が20%、同三十一日になっても35%にとどまっている。ちなみに出勤率は二十日が91%、三十一日が92%になっている。
(2003.3.25掲載)