東海道線の鷲津―新所原間で起こったような鉄道被害は、東海道線の袋井―磐田間でも顕著だった。東南海地震が発生した昭和十九年(一九四四年)当時、東海道線は戦時下の軍需品を運ぶ最重要幹線。緊急の復旧作業に当たった人々の証言から、地震による被害の実態も浮かび上がる。
『(東京起点)241K060m駒洗川と太田川間で、60~70mにわたり、上り線だけが最高2m位、山側にずれるような状態で沈下し、ここでは60両編成の貨物列車の中央部で44~45両脱線転覆、3両は下り線を飛び越して駒洗川に車両を上向きにして転落していた』
県中遠振興センター(現中遠県行政センター)の「昭和19年東南海地震の記録」(昭和五十七年刊)に収録された元国鉄職員、山田栄作さん(袋井市高尾)の証言だ。場所は太田川の東。付近の東海道線は大部分が田の中の盛り土を通っていて、その盛り土が地震で崩れ、通過中の貨物列車が転覆したのだ。
山田さんは当時『国鉄静岡鉄道管理部施設課保修係』勤務とある。管内各所と電話連絡も取れず『上司の命によりC51蒸気機関車に便乗し』被害調査に向かったようだが、掛川駅以西へは列車では進めず、軍のトラックなどで現場入りし、そのまま民家などに現地本部を作り、復旧作業に当たっている。
『掛川~袋井間で東京起点237K050mの袋井市小野田地先で延長約100mが0・7~1m位、上下線が沈下した』『237K400m能光寺前東地先付近で上下線が延長30~40mにわたり50~60センチ沈下した』『袋井駅構内238K180m付近三角川地下道西側で、下り線が約30センチ、上り線が約20センチ位延長40mが沈下した』などとほかにも不通個所を列挙している。
列車の脱線転覆は太田川西側(磐田市の神明中北側)でも起こり、『242K蓮城寺西付近で、上下線とも延長約50~60mが最高70センチ沈下しており、下り貨物列車約70両編成の中央部分で17両程脱線した』と記されている。
掛川以西の軟弱地盤地域を通る鉄道は、地震の衝撃をまともに受けた格好だった。
(2003.5.12掲載)