昭和十九年(一九四四年)の東南海地震で、線路の盛り土部分が陥没を起こした東海道線の袋井―磐田間では、思わぬ二次被害も発生した。太田川東で脱線転覆した六十両編成の貨物列車で爆発が起こったのだ。
『揺れはじめのうちは、目がまわって「気持ちが悪いね」って母と話をしていたんですが、そのうちドーンと大きな音がしたんです。戦争中のことだったので、最初は空襲かと思ったぐらいでしたが、しだいにまわりに見える家が、砂けむりとともに倒れていった時、やっと地震とわかったぐらいでした。ちょうどその時、東海道線を走る油をつんだ貨物列車が田原地内で横転し、ドラム缶が爆発したんです。それはすごかったんですよ。その爆発で運悪く近くの家に燃え移ったんですが、さいわいにも警防団のかけつけるのが早かったのと、近所の人たちの協力で、二次災害は防ぐことができました』
これは昭和五十六年の「広報ふくろい」に掲載された村田クワさん(袋井市松袋井)の目撃談。「田原地内」とは太田川の東側で、脱線転覆した列車には積み荷にガソリン入りのドラム缶があって、爆発から火災も発生したようだ。
『旧田原小の南で貨物列車が脱線転覆し、車両火災が発生していた。恐ろしさと好奇心の混じった気持ちで現場近くまで行くと、火力が強くて近寄れなかった。それもそのはず、軍用燃料(ガソリン)が入っていたドラム缶が転覆のショックで引火し盛んに燃えていた。(中略)図のように、線路は蛇行状となっていて、鉄道の土台である土手の土は、部分的に左右にはみ出し、地震エネルギーの恐ろしさを感じた』
県中遠振興センター(現中遠県行政センター)の「昭和19年東南海地震の記録」(昭和五十七年刊)に収録された袋井市愛野の窪野治馬さん(当時、旧制中泉農学校=現磐田農業高二年)の目撃談からも、爆発の様子がよく分かる。学校からの帰宅途中、目の当たりにした現場を、窪野さんは記憶をもとに図にも描いていて、貴重な記録になっている。「あまりのすごさに頭に焼き付いて忘れられない」と今でも語る光景だ。
(2003.5.19掲載)