昭和十九年(一九四四年)の東南海地震は、建物ばかりでなく、さまざまな建造物を破壊した。
『被害状況の一例を申しますと、中ノ町堤防の国道橋下流の神社付近では石張護岸にも、コンクリート造りの量水標にも亀裂が入りました。(中略)鉄道橋、国道橋の橋脚にも亀裂が入り、鉄道橋の補強は大変なものでした』
元建設省浜松工事事務所の安永正喜さんの体験談=中遠県行政センター刊「写真でみる東南海地震」収録=から、堅固なはずのコンクリート橋脚などが被害を受けた様子が分かる。当時の記録写真には大きな亀裂が写っている。
同じ橋でも、木造の場合は、大破した例が目立つ。袋井町(現袋井市)の原野谷川に架かっていた「新高橋」や向笠村(現磐田市)の「小藪橋」が折れ曲がってしまった写真が今に残る。体験談の中には『一度、上にはねあがり、そして落ちて、真中で折れています』といった証言もある。
危険だったのは石塀や石柱、石灯ろう。掛川市西町の徳雲寺の石塀を撮影した関林江茂(りんえも)さんの写真からは、地震時に犠牲者が多い現代のブロック塀の危険性が類推できる。
「父が撮った場所へは私も行ってみましたが、怖かった」と写真所有者でもある息子の関七郎さん(70)=掛川市中央=。中遠振興センター(現中遠県行政センター)発刊の「東南海地震の記録」に収録された関七郎さんの体験談には、石灯ろうの倒壊や明かり取りのガラスの落下など掛川市内のさまざまな被災状況が紹介されている。
(2003.6.23掲載)