昭和十九年(一九四四年)の東南海地震=マグニチュード(M)7・9=は、後に地震の前兆現象でも注目された。戦時下で、地震に先行した異常データなどはほとんど残っていないが、昭和五十一年(一九七六年)に東海地震説が出て以降、地震予知の観点から再調査が行われ、たくさんの前兆と思われる現象が“発掘”されたのだ。
『住友金属工業KK、静岡プロペラ製作所で、プロペラのピッチを変化させる油圧ピストンを製作していた。地震発生前10分位、工作機械の台上の中心を出すスタンドの安定が悪くなった。たびたび装置の修正をしたように記憶している』(場所・静岡市登呂、報告・小林光雄さん=藤枝市)
これは県の委託などを受け、財団法人・地震予知総合研究振興会が昭和五十七年(一九八二年)に行ったアンケート調査の回答の一つ。十分ほど前には何かしら地殻変動が始まったのではないか、と思わせる記述があり、目を引く。
この調査結果は、県地震対策課(現県防災局)が「東南海地震の前兆現象について」と題した報告書にまとめている。当時、振興会会長だった萩原尊礼氏(故人、元東大教授)らが、「来るべき東海地震の前兆出現パターンの仮想シナリオを設定する」と精力的に調査した内容だけに、ほかにも貴重な証言が多い。
『地震の直前、工場内の刃物とぎ場で、目まいがする。ふらふらする(友達と変だなあと話をする位)。時間はわからないが、上記の話をする位の時間は経過している』(浜松市、中津川政明さん)
『動員先の中島飛行機新居工場で、たまたま故障中の大きな電気炉の中で修理に当たっていたところ、電気炉のトビラのわきに吊してあった鎖が炉に触れてカチャカチャと音を立て始めた。まわりに人のいない倉庫の中だったので、だれか来ていたずらをしているのかと思っていたが、不審に思って外へ首を出すと、やがて「地震だァ」という叫びを聞き、外へ飛び出し、倉庫外へ走りだしたが、もうその時は歩くことができないゆれの激しさだった』(浜名郡新居町、牧野拓司さん)
これらはいずれも精密作業従事者の体験談。調査を担当した振興会理事でもある力武常次東大名誉教授は『数分前に大地が不安定化して数秒の周期でゆれだしたことはほぼ確実といえよう』と著書「予知と前兆」(近未来社)で記している。
(2003.7.15掲載)