『7日7時10分に観測を開始した。昨6日の作業に続いて、ナンバー5262(原谷村板ケ谷)までの観測を終り、ナンバー5260(原谷村細谷)からナンバー5292(桜木村富部)までの観測を行った。いつものように午前中の観測値を整理していて驚いた。昨日観測したこの区間の観測値と比較して信じられないような数値だ』
これは、昭和十九年(一九四四年)の東南海地震の前兆現象の中でも最も有名な「掛川の水準変化」の根拠になった手記だ。
当時、陸軍技手(通称・測量官)だった越山敏郎氏(後の国土地理院測地部係長)は昭和五十一年(一九七六年)の国土地理院広報に、現在の掛川市で体験した水準測量中の“異常現象”を記した。それは、後に東海地震の直前予知にもつながるとされ、注目されることになった地殻変動の前兆現象で、昭和五十七年(一九八二年)に茂木清夫氏(当時東大教授)が科学的に焦点を当てて世に出した。
越山氏の手記によると、観測は周智郡森町と榛原郡御前崎町の二方面から掛川に向かって行われたようだ。『私は、三倉から森、掛川を経て島田方向に、河野技手は、御前崎から佐倉、南山、内田を経て掛川の交点まで約30キロメートルに新しく、水準点15点埋設してそれを観測するといった計画で出発し、11月24日三倉から観測を開始した』とある。今から思えば、地震当日へ向かって貴重な水準変化記録を取っていたことになる。
変調は地震前日の十二月六日の記録から。『観測値を整理していると(中略)3日前の観測値と比べ3ミリメートルの差が生じた』とある。
そして、七日の午後。『いつものように観測しようとレベルを合致させようとするも、レベルの気泡が動いて静止しない。田んぼの中の一本道で強い風が吹き抜けていた。日傘で風よけを作らせたり、機器のセットをやりなおしたりいろいろ試みたが、レベルの動きはますます大きくなるばかりであった。そのうち大地震(東南海地震)が起き、瞬間、道路が波うってくるのが見えた』
茂木氏は、これらの証言と前後の測量記録を解析し、掛川付近が地震の三日程前から隆起した、と推測したのだ。地震発生当時は前兆の地殻変動などに注意する学者もほとんどなかったが、それから三十年以上たった昭和五十一年に東海地震説が出て、越山氏は「これは」と手記を著したようだ。
(2003.7.21掲載)