『九日午前八時三十三分、関東地方及び東北、中部両地方の一部で強い地震があり、伊豆半島南部に大きな被害が出た。気象庁の観測によると、震源地は伊豆半島の南南東沖約二十―三十キロ、震源の深さは約二十キロで、エネルギーの強さはマグニチュード6・8。各地の震度は次の通り。▽震度5(強震)石廊崎…』
『海水を使って消火活動』『地震被害のひどい南伊豆町中木地区上空からヘリで撮影』と説明がついた写真(昭和49年5月9日付本紙夕刊から)
昭和四十九年(一九七四年)五月九日朝、県内は大きく揺れた。同日付本紙夕刊の一報には震度5の石廊崎のほか各地の震度が『震度4(中震)静岡、三島、網代、震度3(弱震)浜松、御前崎』と記されている。県内では久々、伊豆半島では昭和五年(一九三〇年)の北伊豆地震=マグニチュード(M)7・0=以来の大きな地震とあって、揺れに対する県民の驚きは大きかった。が、被災状況が分かるにつれ、その被害に県民は、さらに大きな衝撃を受けることになった。
『九日午後零時三十分になりようやく下田署員が中木地区に到着、第一報によると、同地区の十六戸が完全に土砂に埋まり、住民三十一人が行方不明のうち三人救助した。不明者は二十八人。ケガ人一人。火災は同時刻現在四戸を全焼しておおむね鎮火―となっている』
この日の夕刊は、刻々と入ってくる情報に版を重ねながら、遅い時間帯に入ってきた南伊豆町中木地区の土砂崩れを伝えている。この時点で詳細は判明していないが、壊れた家屋や埋もれた建物から火災が発生したらしく、ヘリから撮影した消火活動の写真が不気味だ。
見出しも『伊豆半島南部に強震襲う』『南伊豆町海岸地帯は壊滅状態』『死者1を確認、不明多数』と大きな活字が夕刊の紙面に躍っている。
後に気象庁が「伊豆半島沖地震」と名付けた、この地震は、活断層による直下型地震だった。そのため、マグニチュード(当初発表の6・8は後に6・9に修正)は中規模だったが、局地的に大きな被害をもたらし、災害史に残る地震となった。
(2003.10.6掲載)