伊豆半島沖地震の発生を伝える本紙夕刊=昭和49年5月9日
『地震発生当時入間地区沖を航行中だった漁船第15三社丸の報告によると、地震と同時に石廊崎から松崎方面にかけて広範囲にガケ崩れが発生しているのを目撃、中木地区では火災が発生しているのも見たという。石廊埼灯台の建物も完全に倒れた―』
伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=の発生を報じる昭和四十九年五月九日の本紙夕刊。漁船からの目撃情報は、半島の海岸部の何カ所かで土煙を上げて土砂が崩れ落ちる―という生々しい光景を伝えた。
風光明美な伊豆半島の特徴は、急峻(きゅうしゅん)な山と狭い谷筋や海岸線に点在する集落。その長所が地震で一転、もろさを露呈した。
『南伊豆町内の道路はいたるところで大小の土砂崩れが発生、寸断されている。同町下賀茂、開業医浜中朗さん(52)方は裏山の土砂が崩れ木造平屋住宅が押しつぶされた』
『九日午前八時三十五分ごろ、田方郡天城湯ケ島町湯ケ島浄蓮の滝の見学通路で直径四メートルぐらいの大石が転げ落ちた。このため修学旅行にきていた群馬県富岡市立富岡中学校生徒三人が驚いて逃げる時、転んで手足をすりむいたが、そのまま旅行を続けて行った』
『南伊豆町役場前では直径三メートル大の岩石が道路上に落下、民家の軒先に突っ込み、午前九時三十分現在ガスボンベが下敷きになってガスもれが起こっている。このため道路は全面ストップ』
土砂崩れの記事がズラッと並ぶ。中でも大きな災害となったのが南伊豆町中木地区で、夕刊段階では『十五戸が完全に土砂に埋まり、住民三十一人が行方不明』となっているが、翌日十日の朝刊の見出しは『さながら地獄』となっている。
『マグニチュード6・8(後に6・9に修正)の強烈な地震に“至近距離”から直撃された伊豆半島南端の太平洋沿岸の平和な漁村、民宿の村は一瞬のうちにたたきのめされた。見る影もなく倒壊した家屋、その上に悪魔のようにのしかかった大量の崩土、助けを求める住民たちの悲鳴、恐怖をいっそうあおり立てる火災―。最も被害が大きかった賀茂郡南伊豆町中木の現場は土砂の中に消えた人々を救出する作業もままならず、冷たい雨に濡れて闇に沈んでいった』。状況が分かるにつれ、がけ崩れという地震災害の怖さが浮き彫りになっていった。
(2003.10.13掲載)