『南伊豆町中木地区はズズーンという不気味な音とともに家が下から突き上げられるようにゆれ始めた。その直後、マーガレットの段々畑が美しく並ぶ城畑山が地すべりを起こし二―三万立方メートルもの大量の土砂と岩が十六軒の民家を押しつぶした。さらに地ゆれで倒壊した家から出火、火はみるみる燃え広がり地区内は阿鼻叫喚の地獄と化した』
伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=の発生から一日後の昭和四十九年(一九七四年)五月十日。被災地の状況を伝える本紙朝刊は、最も被害がひどかった「中木地区」の様子を大きく扱っている。
「城畑山」とあるのは、中木地区の北側の斜面の山の通称。高さ五十メートルほどだが、全部で八十五戸が密集する小さな入り江の村に、のし掛かるように迫っていて、斜面の傾斜は約三〇度ときつい。その表土が地震の揺れで、ざっくり削られ、雪崩のように下の集落に覆いかぶさったのだ。
『ホテルを思わすような豪華な民宿も強震の猛威にみる影もなく、山津波を思わす土砂の中に消えてしまった。助かった村人たちはまだ悲劇が信じられないという面持ちで、すっかり変わってしまった村の様子に顔色もあおざめ、大量の土砂のため一向にはかどらない救助活動に気が気ではなく、降りしきる雨の中でまだ姿を見せぬ両親、夫、妻、わが子、兄弟の安否を気遣っていた』
見出しには『土中に消えた16戸』とある。崩壊した土砂は流れ下り、集落の半分以上の約五十戸を包むように広がり、うち十六戸が完全に埋没していた。土砂は簡単には取り除けず、救援活動は難航した。
『地元消防団をはじめとする千人にのぼる大救助隊は、各地で寸断された道路の合間をぬって現場に集結、同日夕から本格的な作業に入ったが、バスほどの巨大な岩が無数におおいかぶさっているため、思うように進展せず、雨の降りしきる現場では難をのがれた地元の人たちが、二十八人の安否を気づかいながら、呆然とたたずんでいた』と紙面は伝えている。
(2003.10.20掲載)