昭和四十九年(一九七四年)五月九日午前八時三十三分。伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=が起こった瞬間、賀茂郡南伊豆町の中木地区で何が起こったのか―。
二十七人の犠牲者を出した現地からの情報は、大規模な土砂崩れの現状は伝えていたが、どうしてそんなことが起こったのか、地震動と斜面崩壊の実像はつかみにくかった。ただ、空からの被害調査や専門家の現地調査などで、しだいに実態は浮かび上がった。
『高度二、三百メートルから中木、伊浜、妻良、子浦など八地区を上空から約三十分間偵察飛行したが、中木の惨状には驚いた。リアス式海岸で切り立ったガケが、ずり落ち、海面が一面に赤茶けていた。山を背負った民家の恐怖が、ことさらに厳しく感じられた』
上空を飛んだ航空自衛隊浜松南基地救難航空隊(当時)の隊員の証言=五月十一日付本紙朝刊=は短い内容だが、撮影した航空写真と併せて見ると、まさに雪崩のような現象が瞬時に発生したのではないかということが直感的に分かった。
写真の上では、通称・城畑山の斜面の土砂は流体のように流れ下り、川から海へ扇状地のように広がっていた。
『約五万立方メートルという大量の土砂があっという間にすべり落ちて来て家屋を押し潰したというから、非常に速い速度で地震と同時に落下したようである。この地すべりによって鉄筋の三階建の家が二メートル移動し、一階は直径二十三ミリの鉄筋をまるだしにして潰れていた。土砂の下敷きになった家ではガスもれから火災が発生し五戸焼失した』
現地入りした飯田汲事愛知工大教授らの報告書=文部科学研究費による一九七四年伊豆半島沖地震災害調査研究報告=にあるコメントは、土砂崩れの想像以上の“威力”についても触れている。
鉄筋三階建ての家を移動させてしまうというのは、相当な破壊力だ。遺体の損傷が激しいのも、土砂崩れの破壊力を物語る悲しい事実だった。
(2003.11.3掲載)