『最初、ガス爆発と間違えるような凄(すご)い音がしたと思うと、いきなり大きく上下に揺すられ、続いて横揺れがきた。この瞬間、家が宙に浮いた感じで、テレビはすっ飛んで倒れた。駐車場の巨石は揺れがくると同時に落下し、下の売店の店員が逃げ出そうとするところを襲って重傷を負わせた。道路の亀裂は、まるでイナズマのような速さで生じた(石廊崎)』
昭和四十九年(一九七四年)五月九日の伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=の瞬間の様子が、地質調査会社・応用地質の報告書に記されている。調査員らが現地に入り、聴き取りした証言だ。
爆発音に続く、激しい上下変動。そして、ほぼ同時に訪れる横揺れ。南伊豆町の石廊崎地区の証言が伝える瞬間の現象は、直下型地震の特徴をよく表していた。今から見れば、阪神・淡路大震災=一九九五年、M7・2=などで知られるようになったテレビが飛ぶ現象など、直下型地震の典型とも言える。
『初め、ドカーンという爆発のような音が響きわたり、それと共に大きく揺れた。この時、海岸の崖(がけ)が崩れ、道路に亀裂が走り、家が傾き始めた。大きな左右のうねりが四~五分続き、惨状が広まった(入間)』
南伊豆町の入間地区の聞き込みでも、似たような証言が得られている。やはり爆発音と直後の大きな揺れが特徴的で、山崩れなどもわずかの時間で発生したようだ。
しかし、なぜ、中木地区だけが大規模崩壊になったのか。
伊豆半島は『関東大震災、北伊豆地震などにおいても比較的被害が少なく、堅岩地帯で地震には強いと思われていた』(応用地質の報告書)のだが、中木地区の凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)で出来た斜面は『表層の風化層が下部の比較的新鮮な部分を境にして地震を契機に崩壊したと判断される』という。凝灰角礫岩は火山灰などが固まった比較的堅い岩石だが、風化している層があって、崩壊に至ったというのだ。しかも通称・城畑山は『急斜面で』『地震時にも降り続いていた雨も崩壊しやすい状況を作り出していたとも考えられる』と分析している。
雨で滑りやすくなった山の急斜面。ドカーンと襲う直下型地震の揺れ。風化層を激しく突き上げる衝撃。そんな条件が重なって、中木地区の裏山は大きく崩れ、多数の民家をのみ込んだのだ。
(2003.11.11掲載)