昭和五年(一九三〇年)の北伊豆地震=マグニチュード(M)7・0、死者二百七十二人=以来四十年以上、被害地震がなかった伊豆半島は、地震活動的には比較的静かな地域で、研究者の関心はさほど高くなかった。だが、昭和四十九年(一九七四年)の伊豆半島沖地震=M6・9=で状況は一変した。
揺れは一部で震度5を示す中程度だったが、南伊豆町中木地区の土砂崩れで二十七人の犠牲者が出るなど、局地的に被害が大きく、東大、京大、名大や地元静大など大学の専門家や研究機関の職員ら多数が現地調査に入った。その結果、地震は活断層沿いに起こっていて、「直下型地震」といった地震像も次第にはっきりしてきた。
新聞報道では当初『静岡地方気象台の観測だと、震源地は石廊崎沖南南東三十五キロメートルの北緯三四・三度、東経一三九・〇度』(本紙昭和四十九年五月九日付)『震源の深さは約二十キロ』(同)として、地図上の震源地は伊豆半島南沖合に×印を落としていた。
ところが、東大理学部地球物理教室の浅田敏教授(当時、後の地震予知連会長、故人)や石橋克彦助手(当時、現神戸大教授)ら研究者が「超高感度余震観測」を実施し、震源を再決定したところ、本震の震央は北寄りの入間海岸付近(南伊豆町)だった。震源の深さは地下七キロから十一キロ。まさに被害地となった中木地区や入間地区の“直下”で地震は発生していたわけだ。
余震についても『地震の直後から震央付近でかなりの数の余震が感じられ、石廊崎測候所の有感地震回数は五月末までに百五十八回、六月中に三十二回に達した』と土隆一静大教授(当時)の報告=「一九七四年伊豆半島沖地震とその災害」(一九七五年、県消防防災課まとめ)=などにある。
石橋氏らが観測から決定した発生場所を地図に落としていくと、伊豆半島南部を北西から南東に走る活断層に沿った分布となり、地震がこの断層の活動で起こったことも明らかになった。
(2003.11.24掲載)