「地震直後、県の人と自衛隊の飛行機で上空から現地を見たんです。そうしたら直線的にくっきりと断層が現れている。断層に沿って何カ所かでがけ崩れも起こっていて、『地震断層だ』と声を上げました」
昭和四十九年(一九七四年)の伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=は、調査が進むと、地震を引き起こした断層の正体もはっきりしてきた。上空から伊豆半島の被災地を視察した静岡大の土隆一教授(74)=現名誉教授=は、半島南端の石廊崎から北西に延びる地震断層「石廊崎断層」を確認した。断層としては小規模だったが、地表に顕著に現れていて、半島南端の石廊崎から、被害が集中した中木地区、入間地区を通って北西へ約五キロほど目視で追跡できた。

断層の上に位置して、壊れた石廊埼灯台=同報告書から
土教授らは陸路現地入りし、この断層の調査も行った。断層上に当たる石廊埼灯台付近では、ブロック積みの古い灯台が壊れ、入間地区ではがけに断層が現れ、崩れていた。特に石廊崎地区の集落のがけでは、断層面が観察でき、注目された。

断層の動いた跡が線状に残るがけの断層面=文部省科学研究費による調査研究報告(1975年)から
「稲葉さんというお宅の裏のがけに、断層が水平で三十センチ、垂直で二十センチほど動いた跡があって、ずれた跡が線になって残っていた。非常に珍しく、地震の揺れ方も想像できた」と土氏は振り返る。
線は曲線でうねっていたため、「地震で揺れながら、断層は徐々にズルズルと動いたのではないか―」と言うのだ。この場所に限った話かもしれないが、一気に突き上げるような直線的な衝撃とは違うイメージだ。
ただ、破壊力は大きく、「そばの家の中はテレビがひっくり返るなどごちゃごちゃ。たまたま留守で住民は助かったけど、いればけがはしていた」(土氏)という。近くの道路わきの電柱は根元から切断され、地割れが走り、コンクリート塀は破壊されていた、と土氏らの調査研究報告(一九七五年、文部省科学研究費による)にもある。
(2003.12.8掲載)