昭和四十九年(一九七四年)の伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=は、中木地区や石廊崎地区のほかにも南伊豆町の各地区に特徴的な被害をもたらした。
『漁業と花キ栽培、民宿の閑かな村、入間地区は、部落内の道路の至るところに幅二十―五十センチのキ裂が走り、崩れたヘイなどが散乱して惨たんたる有様。中には完全に倒壊した民宿もある』
地震翌日の五月十日付の本紙朝刊は、戸数六十四戸の入間地区で、民宿など四十戸が全壊し、塀やガラス戸などの小規模被害も入れれば被害は全戸に及んだ―と伝えている。二階建ての民宿では逃げ遅れた客二人が柱に挟まれ、『頭などを打って重傷の模様』とある。
この大きな被害は、地区の南部を石廊崎(地震)断層が走っていて、地震の衝撃をまともに受けたためと、軟弱だった地盤にあったようだ。
『地区の震害が著しかったのは、家屋の多くが砂土で造成された厚い盛り土を含む砂質地盤上にあったほか、三つの断層で三角状に挟まれ、この断層の剪断帯の上に同地区があったためといわれている』と県警本部の「伊豆半島沖地震災害警備誌」(一九七五年刊)にも記されている。
応用地質の調査報告書によると、入間地区の低地部は高潮被害を避けるために、海浜砂による盛り土が三~五メートルも施されていた。そのため『集落全体が破壊されたと言える程度に被害は激甚である』と書かれている。
地区は地震当日、住民総出で道路と護岸堤の補修工事をしていたため、火災の被害はなかった、と本紙記事にある。補修作業をしていた漁業佐々木健一郎さん(23)=当時=の話として『ドスーンという音とともに突然ノリ面が割れた。恐ろしくなって急いで上の道路へよじ登ったが、余震が続き生きた心地がしなかった』という談話が載っている。
(2004.01.06掲載)