『陸路が断たれているため、海路妻良地区に足を踏み入れると(中略)古い土蔵は完全に倒壊し、新旧の人家の屋根はほとんどずり落ち一軒も満足な家はみられない。電線はズタズタに切れて垂れ下がり、道路には大小の亀裂があちこちに無数に生じ、道路脇の電柱あるいは横断標識などほとんど横倒しとなり、見るも無残な有様だった』
昭和四十九年(一九七四年)五月十日付本紙朝刊には、伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=で被害を受けた南伊豆町の妻良地区に、海路から入った記者のルポが載っている。
妻良地区は石廊崎から北西へ約八キロ、被害が最もひどかった中木からは約五キロの漁村。入間地区と同様に、海岸の近くは砂の地盤に建つ家が多く、震動で激しく揺れたようだ。ただ、入間地区より震源から遠く、全壊家屋は少なかった。応用地質の調査報告書によると『屋根瓦の崩落、ナマコ壁の損壊、石積土台の緩みや崩壊』などが主な被害に挙げられている。
湾を挟んで対岸の子浦地区も『手ひどい被害に見舞われた』(五月十日付本紙)とある。

『ブロック塀や屋根がわらが乱れ飛び、辺りは惨たんたるありさま』と説明が付いた子浦の家並み=南伊豆町子浦地区(昭和49年5月10日付本紙)
『マーガレット・ラインの手前から県道を左に折れて子浦地区に一歩足を踏み入れると屋根がわらがぞろりと落ちた家並みが目にとび込んで来た。(中略)外形は満足な家も部屋の中は家具などが倒れメチャメチャ。窓ガラスもほとんど壊れている。船着き場に通ずる舗装道路も至るところ地割れだらけ』
これも本紙記者の現地ルポだ。子浦地区も妻良地区同様に海の砂の地盤が多く、地割れが多数生じた。 『あちこちに青ざめた表情の地元民がたたずんでいるが、ショックのために口を開く元気もない。船着き場の岸壁も分厚いコンクリートのかたまりが横に一、二センチほどずれている。山を背にした人口六百三十三人の集落。もし裏山が崩れたら…、思わず背筋が寒くなる光景だった』
中木地区の地滑り被害の衝撃が大きく、記者ルポでも、斜面崩壊の危険性に触れている。実際、南伊豆町の海岸沿いの急傾斜地は至る所で崩壊し、土砂崩れを起こしていた。
(2004.1.12掲載)