『水、食料が届いた!』『ようやく生気戻る』『孤立状態解ける』
昭和四十九年(一九七四年)の伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=の被災状況を伝える本紙は、地震発生(五月九日午前八時三十三分)から三日目の十一日付夕刊で、救援活動の進む様子を明るい見出しで紹介している。
『落居地区(二十世帯、七十七人)は周囲の陸路が土砂崩れで完全にしゃ断されたため、これまでにもヘリコプターによる物資投下が行われていたが、この日は海上自衛隊員四十人がボートに分乗、海上から同地区に物資を運んだ』
『伊浜地区(九十八世帯、四百四十七人)も不通とみられていた道路が十日夜になって通れることが確認されたため、東京・練馬の陸上自衛隊第一連隊の五十七人がトラック、給水車など十台に分乗して物資を輸送した』
記事からは、南伊豆町での自衛隊の活動ぶりが分かる。
県発刊の「伊豆半島沖地震災害誌」によると、地震発生から約一時間半後の午前十時には自衛隊、県警機動隊の現地派遣が始まり、昼の午後零時四十五分、南伊豆町に災害救助法が発動されている。これに地元消防団などが加わった防災関係者らが救援、復旧に当たったわけだ。
『苦境乗り越え再建へ』『五日ぶりに水道』
こんな見出しで五月十四日の本紙は、被害が最もひどかった中木地区や入間地区でも五日目辺りからは復旧が本格化している状況を記している。
『散乱していたブロックべいや崩れ落ちた石垣、倒壊家屋の片付けも、地元消防団の応援で始まり、暗く沈みがちな被災者の表情にも時折笑顔がのぞかれる』『ほとんどの家が原形をとどめないほどに壊れた入間地区は、自衛隊員らの手で、寸断されていた道路や河川の復旧、住民たちは屋根のふき替え作業や家財家具の整理など身近な物の片付けにかかっている』と記事にはある。
途中、『遅れた救援物資 下田市田牛 不満訴える住民』(五月十二日)といった見出しも見られるが、地震から一週間の本紙十五日朝刊では『住民に明るさ戻る 救援物資が大きな力に』となっている。
(2004.2.2掲載)