『A 地形、地質に問題があると指摘されていながら、安政の大地震でも被害がなかったということで安心し切っていたとはいえると思う。風化土質で危険は内在していたはずだ。その意味で行政当局にも手抜かりがあったのではあるまいか』
復旧が進みだすと、被害が大きくなった原因を探る動きも出だした。伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=から三日目の昭和四十九年(一九七四年)五月十二日付の本紙朝刊には、早くも記者座談会が掲載されている。
『風化土質で危険は内在していたはずだ』とするA記者は、伊豆半島特有の崩れやすい地盤への対策が欠けていたのではないか―と指摘しているわけだ。
しかし、いくぶん違う見方も紹介されている。
『C いや、それは結果論だ。中木地区の場合でいえば地元住民も竹内町長自身も崩壊した通称「城畑山」は堅実な岩盤と信じ込んでいた。崩れてみて初めて土山と分かったんで、実際に北伊豆烈震でもほとんど被害を受けていなかったのだから、いわば不可抗力の災害と私は見る』
『F 私もその見方に同感だ。伊豆半島全体にいえることだが、山にへばりついて住むのは平地がないのだから宿命的なもので、長い歴史を経て安住の地として選んだのが現在地なのだから、結果論で町当局や地元民を的に責めるのは酷だ』
確かに伊豆地方の地震としては「北伊豆烈震」と呼ばれた昭和五年(一九三〇年)の北伊豆地震=M7・0=が知られているくらいで、専門家も『南伊豆町近傍を震央とする被害地震は歴史上知られていない』(文部省科学研究費による一九七四年伊豆半島沖地震災害調査研究報告書)としている。住民が突然の天災と考えるのも無理はないという見解だ。
ただ、仕方ないでは済まされない被害もあった。『B しかし、問題はあるね。入間地区でいえば砂の上に家が建っていることは明らかだ』というコメントが目を引く。
以下、いくつかのコメントの要旨を拾うと▽斜面の表面がもろくなって危険なことはある程度察知できたはずで、反省すべき点もあった▽国や県、地質学者の指導を求め、地震による土地の危険度の総点検を行うべきだ▽倒壊したのは無鉄筋のブロック建築や筋交いのない土塀やブロック塀で、建築上の改善が必要―などとなる。
これは東海地震で指摘されている山間地や軟弱地盤での注意点と似通った内容。防災の教訓は、どんな場合も非常に基本的で、共通していると言えそうだ。
(2004.2.16掲載)