『「東海沖大地震」に無関係か』
昭和四十九年(一九七四年)五月九日、伊豆半島沖地震=マグニチュード(M)6・9=が起こると、県民の頭の隅をかすめたのは「東海沖大地震」だったようだ。地震の被害を伝える本紙の記事の隣には、東海沖大地震とは直接関係なさそうだ、といった解説記事の見出しが並んでいる。
『遠州灘から相模灘にかけての沖合は、わが国でも有数の地震ひん発地帯。東海沖では過去明応七年(一四九八)宝永四年(一七〇七)安政元年(一八五四)と、いずれもマグニチュード(M)8以上の大地震が起き、伊豆沖、相模灘でも津波で死者多数を出した元禄十六年(一七〇三)=M8・2=、昭和五年(一九三〇)=M7=などに大きな被害が出ている』
『東海沖には、現在M8以上に相当する地震エネルギーが潜在していると推定されている。米国に客員教授として滞在中の力武常次東大地震研教授も「二十年以内に東海沖で大地震が起きる確率は八〇%以上」と警告していた』
解説記事は、伊豆半島を含めた太平洋側で、大地震の危険性が指摘されているが、どうも今回の地震はそれとは違うようだ、という趣旨だ。
「東海沖」と言えば、現在の県民が懸念するのは、昭和五十一年(一九七六年)に石橋克彦東大助手(当時、現神戸大教授)が学説を出した「東海地震」だが、当時は遠州灘を中心とした巨大地震が心配されていたのだ。茂木清夫東大名誉教授らが遠州灘が地震の空白域になっていると指摘し、「東海沖大地震」とか「東海大地震」と呼んで地震予知連絡会が観測強化地域に指定して警戒していた。
珍しいことに、ちょうど県内の清水市(当時)では地震学会が開かれ、伊豆半島沖地震は大きな話題になった。
学会に出席していた東大地震研の浅田敏教授(当時、故人)は『東海大地震は伊豆沖地震とは関連性が薄い』としながらも『東海大地震は近ければ数年後、遅くても百年以内には発生(中略)このままの無防備体制では大惨事は免れないだろう』と伊豆半島沖地震を契機に地震対策の遅れを警告している。
(2004.2.23掲載)