再定住阻む「緩衝地帯」
でこぼこの列車3両が時間が止まったように停車していた。スマトラ沖地震の津波に襲われたスリランカ南部ゴールに近いダルワタムラ地区。全壊した村は、海岸線から約100メートルの鉄道の線路を境界に、復興の明暗が分かれる。内陸側ではドイツの非政府組織(NGO)などによる住宅建設が進む。しかし、海岸側は木造の粗末な小屋が数軒あるだけだ。
被災後、スリランカ政府は津波対策として、全土で海岸沿いを「緩衝地帯」に指定、家屋再建を禁じた。だが皮肉にも、家を失った約10万人に上る住民の再定住への道を阻む要因になっている。
「代替の土地確保が進まない」(国連当局者)ためだ。当面はゴール周辺だけで計約5400軒の仮設住宅を建設予定だが、間に合わず、猛暑の中でテント生活を続ける人も少なくない。
線路から約50メートル内陸側で、上半身裸の建設技術者プレマシリ・ワニガイタラナさん(55)が残った土台に鉄棒を突き下ろしていた。1人暮らしで、設計図は自分でつくり、政府から25万スリランカルピー(27万円)の援助をもらった。
政府は緩衝地帯以外で土地を持つ人に対し、全壊家屋25万ルピー、半壊10万ルピーを支援金として提供する。「政府の援助を元手に早く家を再建したい」とワニガイタラナさんの表情は明るい。
しかし、海岸側の木造小屋に住む電気工のK・P・ダグラスさん(56)は、緩衝地帯にあるため、いずれ移住を迫られる。家財道具は寝る際の敷物と調理道具ぐらい。被災直後の2カ月は政府から1人当たり月5000ルピーを支給されたが、今はそれもない。
「家のがれきの中に死んだ23歳の娘の写真が偶然残っていたのが慰め」。妻のラニさん(49)が写真を見せた。二男(21)、三男(19)も失った。ダグラスさんは「息子を失ったショックで仕事をする気が全く起きない」と繰り返した。
800人以上の命とともに津波にのみ込まれた列車は、線路脇に残され、観光客らが立ち寄るスポットになっている。ダグラスさんは観光客に近づき、津波の体験を語る。金は要求しないが、話の後に寄付してくれる人もいて、生活の足しになっているという。
「ここに記念館をつくる話もある。いいことだと思うが、列車を見るたびに、死んだ息子たちの顔が浮かんでくる」。ダグラスさんの心から津波痕は消えない。
(スリランカ南部ゴール共同)