あの日、道路に流れ出すほどにあふれていたがれきは姿を消し、商店街や住宅地のあちらこちらに更地がのぞく。大規模な改築、新築工事はほとんど手つかずだが、道端には整地や一部損壊家屋の瓦のふき替えなどにあたる工務店などの車が並ぶ。復興への息吹は確かに伝わってきた。
3月25日に発生した能登半島地震(M6・9)。被害が甚大だった地域、石川県輪島市の門前地区(旧門前町)に、発災直後以来約3カ月ぶりに足を踏み入れた。
その名の通り総持寺の門前に位置する地区。築100年を超す建物も多い古い商店街はあの日、完全に息の根を止められたかに思えた。しかし、実際は違った。衣料品店など数店がプレハブやテントの仮店舗を出し、損傷が軽かった店舗は修繕と店内の片付けを終え、不完全ながら商店街の体裁を取り戻し始めていた。
「うちに来れば何でもそろうという店。なくなれば、きっと困る人がいる」と創業60年の総合衣料品店「シモグチ」の下口洋子さん(62)。「何はともかく」と4月下旬に仮店舗を開いた。
築100年以上の店舗は、完全に崩壊。母屋は助かったが、難を逃れた在庫で部屋は埋め尽くされた。今も毎日、家族総出で汚れたり傷の付いたりした商品を整理、十分使える品物は破格の処分値で店先に並べる。
「うちは跡取り息子もおれば、かわいい嫁も孫もおるからね。商圏は縮小の一途で、将来に心配がないと言えばうそだけど、絶対再建する」。地域と家族のため、年内着工、早期開店を目指して設計を詰めている。
そば屋「手仕事屋」などを経営する星野正光さん(64)は地元門前区の区長。区民の統率に追われながらも率先して被災10日目に店を開けた。「被災は確かにつらい、マイナスやけどな、ここは逆転の発想でいかな」と区民を元気づける。
「地震前に戻すなんて復興の発想はいかん。やり方次第で昭和30、40年代の地域のにぎわいも取り戻せるんじゃないか。そう思うんや」。今後本格化する公営住宅整備、歴史的街並みづくりの過程で区内に若者向けの起業スペースを設けられないか、地域に見守られ高齢者が安心して暮らせる集合住宅を造れないか―。夢物語とは思えない、理論だった力強い構想を次々と披歴した。
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輪島市などで震度6強を記録した能登半島地震から25日で3カ月。22日現在の石川県のまとめで、全壊家屋は640戸、半壊家屋は1580戸を数え、いまだ約330世帯、730人が応急仮設住宅での生活を続けている。復旧から復興へと歩みを加速する被災地で光と影を追った。(東京編集部・松本直之)