静岡新聞のニュースサイトへようこそ。本ページはスタイルシートとJavascriptを使用しています。
静岡新聞 > 特集一覧東海地震は今連載企画一覧 > 東海地震は今 耐震

ここから本文

東海地震は今 耐震

〔1〕証言 

一瞬、家が凶器に 

阪神大震災消えぬ恐怖 静岡の街に姿重ね

2004/06/06

 とても現実とは思えなかった。周囲三六〇度すべてが、想像を絶する光景だった。「何、これ、っていう感じ」。阪神・淡路大震災発生から二日後の神戸市に救助に入った静岡市南消防署(当時)救助隊長の河口淳さん(46)は、架空の世界に迷い込んだような錯覚を覚えていた。


 屋根だけが地上に乗った状態の木造住宅。三階建ての二階部分が挫滅した鉄骨住宅。横倒しの高速道路。ほとんどの建築物が原形をとどめていない。ビルの一室では、散乱して室内を埋め尽くした荷物の下で、たんすにつぶされて二人のお年寄りが抱き合うように絶命していた。結局、四カ所の救助現場で五人の遺体を搬出した。全員が「圧死」だった。
 日赤県支部救護班の一員として震災翌日、神戸に足を踏み入れた静岡赤十字病院看護副部長の武田恵子さん(51)も、被災の激甚ぶりに目を奪われていた。「木造の瓦屋根の家は特にひどかった。みな、ぺっちゃんこ」。行く先々で出会った放心状態の住民の表情が、記憶に強く残る。
 二人の心に惨状はどう映り、どう響いたのか。



 「悪魔のような凶悪な何かがおれを殺しにやってきた。そんな感じですよ」。西宮市の妻の実家で地震に遭遇した静岡市の男性(43)は、骨の髄まで味わった恐怖をそう表現して振り返る。
 「がんがん揺れて、突き上げられて。でっかいハンマーでこづき回されているよう。木造の家が壊れる音ってすごいですよ。柱が外れるときの『バキーッ』という音のすさまじさといったら、本当に怖い」。静寂が戻り、真っ暗な中で庭から見た家はがれきの山と化し、義父や妻らはその下敷きになっていた。幸い、無事救い出せたが、周囲のそこここで、人が埋まっていた。
 住民が力を合わせての懸命の救出作業もかなわず、目の前で何人も亡くなった。肉親を失った人々が畳に遺体を乗せてぞろぞろと通っていく。妻は「信じられへん」を連発していた。静岡に戻ってもそれから三カ月間、思い出しては泣いた。九死に一生を得ても、それほど心の傷は深かった。



 河口さん、武田さんはともに、目の当たりにした神戸の街を、東海地震での静岡の姿に重ね合わせていた。「この家はあんな風に倒れちゃうのかな、あのビルも亀裂が入っちゃうんだろうな―って、しばらくは街並みを見て思っていた」と武田さんは語り、静岡の現状を案じる。

 


 一九九五年一月十七日未明、阪神地方を襲ったマグニチュード(M)7・3の地震は、六千四百三十三人の犠牲者を生んだ。その大半が自らの「家」によって、地震からほんのわずか十五分後には命を絶たれていた。東海地震で危険とされる老朽木造住宅は静岡県でも六十万棟を数えるが、その耐震化は、県の補強工事費助成の実績で見ても二年間で約千棟と歩みは遅い。課題はどこにあるのか。現状を見つめ、推進への道筋を探る。(「東海地震は今」取材班)


メール メールで記事を紹介 印刷 印刷する

阪神・淡路大震災で倒壊した木造家屋=神戸市長田区

(1995年1月)



[特集]

関連ニュース・バックナンバー




静岡新聞購読のご案内

デジ記者Webレポート

SBS動画ニュース

自然薯まつり

静岡新聞社の本

線路に沿って歩いたエッセイと細密画。今もそこにある、なつかしい風景と駅前の味。駅舎ファン必・・・[記事全文]
日本が見える47NEWS
47CLUB

携帯サイト案内

手のひらに最新ニュースを。会員にはメールも配信。お得なグルメ情報も掲載!携帯サイト「静岡新聞SBS」
携帯サイトについて
携帯サイト静岡新聞・SBS
ページのトップへ