ニューヨークの世界貿易センタービルが崩れ落ちた「ナイン・イレブン(9・11)」から丸三年。この事件は、社会に壊滅的な打撃を与えた惨事という意味で、アメリカ人とその社会にとって未曾有(みぞう)の大災害であった。
「9・11」は、市民によるさまざまな運動が始まるきっかけとなったが、その一つに、ニューヨークの中心地マンハッタンの北約三十八キロの所に位置する原子力発電所の閉鎖を求める運動がある。世界貿易センタービルに突っ込んだ旅客機のうち一機が、この「インディアン・ポイント原発」のすぐ近くを通ったことから、半径五十マイル(約八十キロ)圏内に二千万人もの人口を抱えるこの原発の危険性がにわかにクローズアップされたのである。
事件後、運動に関わり始めたあるアメリカ人青年は、長年マンハッタンに住み、環境保護にも関心を持っていながら、「9・11」まではそんなに近くに原発がある事さえ知らなかったと話してくれた。静岡県の浜岡原発や東海地震の場合も、普段からそのリスクを認識している人は少ないだろう。ニューヨークでは「9・11」という危機的出来事が、平和で安全で豊かに見える社会が抱え込んでいるリスクを、人々の目に見える形で示してみせた。そして、多様な考え方をもつ人や団体がリスクに対する不安によって結びつき、リスクの阻止・管理という共通の目的のもと、六十五の組織が「インディアン・ポイント安全なエネルギー連合」というネットワークをつくって活動するようになった。そこには、原子力発電一般に対しては容認する立場の団体も含まれている。
ドイツの社会学者ベックは、普段は目に見えにくいさまざまなリスクを抱え、その分配や管理が社会の対立軸となっている現代社会を「リスク社会」と名づけた。電力消費と原発の関係を見ればわかるように、リスクは私たちが豊かになることに伴って増えてきたものである。従って対処方法も、自分たちの社会のあり方そのものへの反省と批判を含むものでなければ意味がない。また多くの場合、一つのリスクを減らすことは他のリスクを増やしてしまう。だからこそリスク社会における運動は、リスクについての情報公開とそれについての自己決定を求めるものとなる。
「より多くの豊かさ」ではなく「より少ないリスク」を求めるニューヨーカーたちの運動は、苛烈な警鐘が皮肉にも生み出した、「リスク社会」を生き延びるための社会的ツールということができよう。
(平林祐子・環境防災学部講師)