橋げたが倒壊した高速道路。なす術もなく燃え上がった民家。ビルが軒並み傾いた中心街―。東海地震への意識が常に頭の片隅にある静岡県民にとって、阪神・淡路大震災ほど地震災害の恐ろしさを身近に感じさせた出来事はなかったのではないでしょうか。1月17日で、あれから10年…。いま一度、備えを確かにするために、私たちは何をすればよいのでしょうか。東海地震対策に草創期から携わり、阪神・淡路の「現場」も目の当たりにした富士常葉大環境防災学部の井野盛夫学部長(元静岡県防災局長)にお話を聞きました。
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※バックナンバーの「『東海地震は今』の上手な利用法」もご覧ください。
今こそ「防災ルネサンス」を
―阪神・淡路大震災直後、当時、静岡県の防災局長だった学部長は現地に入られました。東海地震対策を進めてきた立場として、どんなことをお感じになりましたか。
「現地へは兵庫県の対策本部に静岡県の蓄積してきたノウハウを提供する行政支援のために、発災3日目に入った。まず驚いたのは、地震対策の柱として進めてきた家屋・建物の防火対策が、阪神・淡路大震災では建物そのものが倒壊してしまったためあまり効果がなかったこと。次に建物の倒壊で多くの人が命を落としたことだ。木造だけでなく、比較的丈夫と考えられていた鉄骨、鉄筋の建物にも大きな被害があったのは驚きだった」
―この10年、防災対策は進んだといってよいのでしょうか。
「例えば他府県からの広域支援の仕組みなどはかなり整った。昨年の新潟県中越地震でも、発災後の行政やライフライン企業などの支援、応援というのは、仔細に見ると需要と供給のミスマッチは依然あるにしても、スムーズにいったと思う。一方で、家屋を耐震化する、非常用の食べ物を備蓄しておく、ブロック塀や自販機などの屋外構造物の対策を進めるといった以前から言われ続けてきたことが、相変わらずおろそかにされているという現状もある.。家屋の耐震化については公的な助成の仕組みができたことで、むしろ公を頼る気持ちが強くなってしまったのではないかとも懸念している」
―基本がないがしろになっているということでしょうか。
「自分の命、自分の家族は自分で守るという一番単純なことが実はできていない。『防災ルネサンス』を提唱したい。東海地震説を受けて、熱いエネルギーの下で各家庭では防災対策が、地域では自主防災会の立ち上げが進められた昭和55年当時の原点に戻ってみることが必要だと考えている」
井野 盛夫(いの・もりお)氏 昭和12年静岡市生まれ。東京教育大理学部卒。県総務部防災局長、静岡総合研究機構防災情報研究所長、中央防災会議専門委員、地震調査研究推進本部専門委員などを歴任。平成12年から現職。理学博士。
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