父と握手「やったよ」
度重なる逆境に打ち勝っての栄冠だった。16日の北京パラリンピック陸上男子走り幅跳びで銀メダルに輝いた掛川市出身の山本篤選手(26)=スズキ=のここまでの道のりは、高校時代の左脚切断以来、懸命のリハビリと義足走法の習得、アテネ大会の出場をあと一歩で逃すなど苦難の連続だった。この日も2回のファウルという重圧をはねのけての大ジャンプ。観戦した父道治さん(53)は「やっぱりわたしの息子。やってくれた」と世界での飛躍をたたえた。
山本選手は小さいころから運動好きだった。掛川市立和田岡小時代は野球、桜が丘中、県立掛川西高時代はバレーボールの選手だったが、高3になる前の春休み、バイク事故で左脚を切断。「当時は本当につらかった」と道治さんは振り返る。
それでも、山本選手はいつも前を向いていた。懸命のリハビリを続け、専門学校で義肢装具士の資格を取った。義足走法を研究していた先輩との出会いをきっかけに陸上競技を始めた。
義足競技者の道も決して楽なスタートではなかった。初戦の80メートル走のタイムは17秒。道治さんによると、3、4回転倒し、血だらけだったという。前回パラリンピックのアテネ大会100メートル出場にはわずか0・1秒届かず、出場の夢はかなわなかった。
悔しさをばねに大阪体育大で陸上を極め、英語を学んで海外も転戦しながら今大会を迎えた。メダルの有力候補と目されていた100メートルの結果は5位だったが、道治さんは「元気がなく心配していたが、ただでは帰ってこないと思っていた」と息子を信じていた。
父の思いも通じた息子のメダル獲得。競技直後、山本選手は競技場の係員の制止を振り切り「やったよ」と道治さんとがっちり握手した。道治さんが返した言葉は「やったね」の一言。率直に、やさしく、父と子は喜びを分かち合った。
「頭が下がる全社の励みに」 スズキ会長ら賛辞
山本篤選手は所属するスズキ陸上部に“初のメダル”をもたらした。五輪、世界陸上、パラリンピック―と世界最高峰の舞台で同部の日本人選手が三位までに入ったのは今回が初。鈴木修スズキ会長は「ハンディを乗り越え積み重ねた彼の努力に頭が下がる。尊敬に値する」と最大限の賛辞を贈り、「全社の励みにしたい。あれぐらい努力すれば、社業はもっと発展する」と笑顔を見せた。
表彰式で二番目に高く掲揚された日の丸をスタンドから見守った筒井昭スズキ陸上部総監督も「よくやった。常に冷静で、人間的にしっかりしている。競技歴がまだ短く、これからまだ伸びる。次のパラリンピックも目指してほしい」と感慨深げに語った。